ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

実習で異文化交流 その12(終)

7日目 後編

 やっと飛行機から降りられるようになったが、通路側に座っている女がなかなか降りようとしないし荷物を棚から降ろそうともしない。あまり余裕もないのでとっとと棚を開けて欲しいのだが、自分の荷物も取れなくていいのだろうか。

 そう思いつつしばらく待っていると、人の切れ目を見つけて女はすっと降りていった。そもそも荷物を棚に入れていなかったらしい。道理で焦っていなかったわけだが、後ろにいたぼくのことはどうでもよかったらしい。たぶん、やっと乗り込んだ電車のドア付近で立ち止まるタイプだろう。

 降りてゲートの外へ向かう。呼び方はわからないが、今回はスーツケース用ベルトコンベアを使わなかった。いつまで待てばいいんだかわからず、機内持ち込みで済むならそっちの方がいいのに間違いない。でも旅行という感じがして嫌いではなかった。

 この時はすぐ空港を発った。後で気づいたのだが、ここにはとてもおいしい鮭の燻製があったのだった。空港以外だと現地の北海道でないと買えない貴重品だ。空港にもあまり来ることはないし、この機会を逃すべきではなかった。

 すべきでないというのなら同じ日にアルバイトを入れるべきでもなかった。疲れたのはもちろん、働いた後に大量の荷物を持って混んだ電車に乗って帰るのには参った。ほとんど移動に費やした日だった気がする。

 

 

█日目

 実習は終わった。影武者について先生が「態度はたしかにひどいけど、来た以上単位を出さないわけにはいかない」と言っていたように、この時点で単位が出ることはほぼ確定している。だが、規則だかカリキュラムだかはわからないがもうひとつ残る作業があった。成果報告である。

 実習中に通達されていた内容として、報告会は後日オンラインセッションで行い、各々が15分程話すということになっていた。これをもってこの科目のカリキュラムは本当に終了し、2年間の旅路に幕が下ろされることになる。評価のことはまた別問題だろうが、先生の態度からしてそう悪くはなさそうだ。

 とはいえ、15分も話すというのは難しい。これまでの授業でやったことはあっても、それは本や論文、研究レポートをまとめたものだった。道筋があり、要約すべき対象があった。今回はそれがない。先生や先輩にも聞いたが、自由でいいということしかわからなかった。ヒトが1分間に話すのは300文字程度だというネット記事を鵜呑みにし、どうにか4500文字程度の原稿を仕上げた。日程の振り返りと所感で半々くらいだ。

 いざ当日になってセッションに繋ぐと、ふたりいない。先生によるとジョニィはアルバイトを入れていたらしい。そういう理由は駄目だよと事前にきちんと伝えていたのにやってのけたのは流石というほかない。

 影武者は短めだったが何も言われなかった。先生は、全員に「こういう活動が生き残っていくためにはどうしたらいいと思うか」と聞いていた。ぼくは「ちょうど我々がしたように地域の子供たちに活動へ参加してもらい早いうちから活動を身近なものとして受け入れてもらう」と答えたが、少なくとも悪くはなかったと思う。

 こうして実習のプログラムはすべて終わった。今これを書いている間も、実習中の経験が思い出される。普段とはかなり違う環境、実際のボランティア活動の前線に身を置くというのは得難い経験だ。最初は危惧していたメンバーも終わってみればなかよくなれた。違う人種ともわかりあえることがあるのだ。これもまた異文化交流だといえるだろう。

 なお、メンバーの中でもジョニィとウェカピポ、復讐者とは同じ授業をふたつ受けている。今回できた縁はぜひとも大事にしたいものだ。そう思い帰京後の授業に行ったが、ぼくを見ても誰も反応すら示さなかった。あんなにみんなが乗り気だった帰ったらカラオケに行こうという約束を覚えているのも、もうぼくひとりだけなのかもしれない。