ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

生存報告: 2023-12

 「終わりよければすべてよし」だなんてのは、感情に限れば嘘っぱちです。いいことも悪いことも等しく本物なのですから、そこから生じた感情をどうしてなかったことにできましょうか? よい最後を迎えても嫌な記憶はドス黒いタールのように足元へへばりつき、悪い最後だとしても微かなよい記憶に慰めを見出すのです。

 この、「過去は消せない」というのを最近ずっと考えています。いつになっても過去は決して消えず、ふとした時に表出するのです。罪も恩も感情も、なかったことになんてするべきではないと私は思います。

 私が友人に忠実であるのは、少なくない恩を受けているし、迷惑も掛けているからです。好きな人たちに捨てられたくないとか失望されたくないという切実なものもありますが……。

 とはいえ、過去に囚われているばかりではなく、未来へ進むこともまた大事だと思っています。その按配が難しいですね。

 

 

 

<学校>

 図書館の授業を受けていたら、以前実習で行った図書館が実例として出てきました。懐かしくなって、授業後に先生と話していたのですが、その時にもうひとり、残って先生と話している学生がいました。

 その子は2年生で、ちょうど司書資格を取ろうと思い始めたところだそうです。司書課程の後輩と話すのは初めてでしたから、ちょっと感動です。もう残り少ない余命ではありますが、できる限りは仲良くしておきたいと思っています。

 これに限ったことではありませんが、最近では「後輩と仲良くして覚えておいて貰おうキャンペーン」を展開しています。これまでも同期の多くと比べて後輩と多く過ごしていましたが、これからはよりそれを心がけたいのです。

 観測できる歳上を参考にすると、同期ってなんだかんだ縁が保たれると思います。定期的な同窓会はあるでしょうし、ひとつ上の代など毎年年越し旅行に行っています。もちろん、何もしなくてもいいというのではありませんが、縁が絶たれにくいのではないでしょうか。

 一方、後輩はどうでしょう? 近頃、ようやく理解してきたことですが、同期の多くは遊ぶとかご飯食べに行くとなると、同期内で完結するのを前提というか、デフォルトとして考えているようなのです。勧誘範囲を後輩まで広げるには、いちいち操作が必要ということですね。

 後輩からしても、それは同じでしょう。我々の代でわざわざ先輩を呼ぼうとなったことはほとんどありませんから。

 要は、後輩との縁は自然消滅しやすいのです。同窓会(?)をするにしても、どこの代まで誘えばいいのでしょう。誰かがあえてそうしなければ、やがて風化してしまうのです。「サークルの先輩/後輩」って案外儚いもので、思い出の更新がされなければすぐに過去の人となってしまいます。

 これを回避する方法はただひとつ。彼らとの関係に別の意味を付与するしかありません。何も付き合えってんじゃありませんよ。確かに、後輩と付き合ったとしたら、その子とは卒業後も会ったり連絡を取ったりし続けるでしょうけど、そこまで濃くなくたって構わないはずです。つまり、今のうちに彼らと友人になっておけばいいのです。

 人間関係というものは、相互的で脆いものです。深めるとか保つとか、そういった正の方向へ繋がるエネルギーは、双方から与えなければなりません。何もしなければ、もしくは片方が望まなければ、人間関係はすぐに劣化し、錆びつき、消え去ります。こちらが正を望み、あちらが負を望むなら、それはおそらく負が勝つでしょう。このことをよく思い知った2023年でしたね。

 必要なのは、自分で縁を保ちたいと願い、かつ相手に自分がその価値を持つ人間だと思って貰うことです。

 

 私は縁が絶えるとかコミュニティが消えるということに、きっと人並み以上の恐れを感じています。その歴史の長さや仲の深さ、仕方なさ*1はあまり関係なくそう思います。

 もはや、これは概念自体が特大の核地雷だといってもいいでしょうね。縁に執着し、その喪失を忌避する私のこの傾向は、ひとりの人間から敵意と憎悪に満ちた拒絶による絶縁を喰らった個人的なトラウマから、より病的になってきたような気がしています。

 たとえどんなにか細くても、縁さえ残っていればきっとやり直せます。大事なのは、縁を絶やさないことと、その働きかけをやめないことです。

 小さくなった灯火を大きくするその何倍も、完全に消えた灯をまた灯すのは難しいのです。ひとりでその灯を守っていくことはできないけれど、その姿を見れば誰かが一緒になって守ってくれることもあるでしょう。

 

 さて、9月から11月は、ずっと大学祭に関わっていました。よく「4年生なのに?」と言われますが、そうできたことには深く感謝しています。しかし悲しいことに、それが終わればいつのまにか卒論の提出が迫っていました。

 以前も書いたように、現在我々のゼミを担当している教授は、たったひとりで20人もの学生を抱え、その卒論を指導しています。だというのに、私のような危うい状態の不届者が少なからずいるらしく、教授は足切りを決行することにしました。

 卒論を出さないと卒業できない*2のは、「卒業研究」という必修授業の単位が出ないからです。ですが、ただ出せばいいというのではなく、一定のクオリティを持っていなければなりません。

 そのクオリティは、まず提出時に判断されます。つまり、カスみたいな卒論を書いても、どうせ駄目だからと受け取ってくれないのですね。この許可を、12月末時点で見込みがない者にはもうあげないからねということです。

 徹夜で進めた結果、先生からはどうにか継続の許可をもぎとれました。骨格は組めましたから、もう少し先の提出へ向けて、この調子でひたすら肉をつけて字数を稼ぐのです。

 

 さて、広報局の同期では、例年12月末に旅行へ行くのが慣わしです。今年は投票の結果、年が明けたあとの方がいいことがわかったのでそっちへずれましたが、どうせならとやることにした企画はこの頃から進めていました。

 決まっているのは大枠の日程と行き先だけですから、宿泊先も滞在中の予定も自分たちで決めねばなりません。たまたま同じ部署のマッチ売りとタンメンが同じく企画を担当することになりました。

 飲み会だのレンタルスペースでの遊びだの程度であれば何度か企画の経験はありますが、今回の旅行は人数も長さもなにもかもなにもかもが違います。ソロではなく相談できる相手がいたのはtとても幸いなことでした。

 しかし、他の諸々を抱えていたことに加え、私生来の連絡を最大限引き延ばす性質により、タンメンと私はマッチ売りの機嫌を損ねることとなりました。和解はしましたが、私はそろそろ私を許さないタイプの人々がいることを覚える必要があります。

 今回の行き先は草津温泉で決まっています。少し調べてすぐに判明したのですが、草津という地名は琵琶湖の方にもあるのですね。そして、草津温泉の付近には驚くほどなにもありません。すると、いいものがヒットしたかと思ったのに草津違いという事態が頻発します。

 湯畑で有名な温泉街の観光はもちろん外せませんが、かといってこれで3日凌ぐことはできないでしょう。幸いにも予定は緩めに埋めることができましたが、これまでの旅行の企画者はよくやっていたものだと実感しました。「やっぱり朝はゆっくりしたいから予定変えよう」なんて迂闊に言うものではありませんね。

 

 

 

<コミケ>

 私には、ちょっとしたやってみたいこと(でも別にやったところでどうでもいいもの)が漠然といくつもあり、それを「概念トロフィー」とか「概念実績」と呼んでいます。例としては「トラックの荷台に乗る」(農家へのホームステイで解除)や「舞浜のアトラクションで降ろされる」(海底2万マイルで解除)がありますが、その中に「コミケの売り子をする」がありました。

 大学の同期にこれを話したところ、なぜか話が進んで自分たちで出展することになりました。売り子をするためには入り込めるサークルが必要で、それは見つけるより作る方が早いという結論に至ったのです。

 申し込みや抽選はいい感じに進み、あとは当日を迎えるのみになったのが12月でしたが、ここまでの本記事をお読み頂けた方ならおわかりのように、2023年12月の私は①卒論、②コミケの原稿、③旅行の企画を抱えていたのです。結果、それぞれにそれなりの支障をきたすこととなったのですが、原稿も完成したのが28日とかのことでした。

 本文を書くのにも時間がかかりましたが、さらにそれをwordファイル用に整え、さらに小説としての作法に沿うよう修正し(!や?のあとって全角スペースを置かないといけないんですね)、ページがいい感じになるよう加筆修正するのにもかなりの時間がかかりました。

 コピー本でいくしかなくなった時はどうなることかと思いましたが、当日にはどうにか11部を仕上げました。本文が私、表紙が委員会の後輩(なんか誘ったら来ました)、製本が同期です。その10部(1部は運営に提出しなければなりません)が、なぜか昼過ぎには完売したのでした。

 いえ、原因はわかりきっています。どう考えても、今回の二次創作元である原作『シロナガス島への帰還』と鬼虫兵庫先生のパワー(RTされたのです)です。お手にとってくださった方々、みなさん中身を確認することもなく買っていかれましたが、200円とはいえ初参加サークルの小説を事前情報ほぼなしで買っていくのは博打じゃありませんか?

 

 当日、いつもの時間よりだいぶ早めにサークル参加者は入場します。割り当てられたスペースに行くとなぜか別の人がおり、いくら確認しても合っています。話を聞くと、その人も今回が初参加(かつ手伝い)なので勝手がわからなかったとのこと。近くの人と協力して、その人の本来のスペースを見つけました。

 テーブルクロスを敷いたり本を並べたりして設営が完了したら、次にやるべきはもうおわかりですね。そう、「設営完了しました」ツイートです。また、準備会の駐屯地へ行き、新刊を提出します。

 この日、私の欲しい本はあまりありませんでしたが、いくらかおつかいを頼まれていました。そのひとつは壁サーで、行列がすでに屋外まで伸びています。とはいえ、7時代の舞浜の入場待ちよりもずっと短い程度でしかありませんでした。

 そこに並ぶと、遠くに黒い影が見えます。オタクは黒い服を選びがちですからね。おそらくは午前入場組だったのでしょう。厳しい抽選と割高なチケット代を乗り越えてやってきた猛者たちです。開会の合図と共に彼らは突撃してきました。先程までのゆったりした会場はもはや跡形もありません。

 並んでいる間にも売れた報告が数部分届き、私がスペースに戻っても何人か来てくれました。恐ろしいペースに我々はもう怯えるしかありません。そして昼過ぎには売り切れることとなったのです。午後入場だと買えなかったと思います。

 早めに撤収しましたが、結構疲れていたので打ち上げは別日に回すこととしました。この歳で打ち上げができないのでは、先が思いやられますね。次回はより入念な準備が必要そうです。

 

 結果、「コミケで売り子をする」だけでなく、「『設営完了しました』ツイートをする」と「『完売しました』ツイートをする」の実績も回収することができました。次回、C104の出展はどうなるかわかりませんが、ぜひとも前向きに考えたいところです。

*1:進学/卒業/就職みたいな理のある事情

*2:出さなくてもいい学部や学科、研究室がこの世には存在するそうです。羨ましいですね