ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

就活雑感 3月前半編

 私はこういう方面について今なお無知無知の無知なので正確な情報なのかはわかりませんが、我々の代の就活が始まったのは去年の六月であるとされています。正式な解禁は今年の三月ながら、インターンや説明会はそれよりもずっとずっと前に開始されていたということですね。インターンには夏、秋、冬とおおまかなシーズンがありました。

 結論から言うのなら、私はこの期間に何もしませんでした。遊んでいた日も無為に過ごした日も悪いものだったとは思いませんが、もうちょっと何かしておけばよかったなという後悔は拭えません。企業によってはこの時期のインターン内々定というものを出すこともあるそうです。この時期から動き始める意識の高い人種の中で輝ける気はしませんが、ちょうど、ファンクラブ会員だけライブのチケット抽選に二度参加できるようなものなのでしょう。自分が無能である自覚はあるのですから、これにも縋るべきでした。

 インターンに応募しようとしたことはありましたが、あまりの求人の多さに気圧されて何もせず終わりました。ひとつだけ応募したところも落ちました。誰へアドバイスを求めることもなくエントリーシート的なものを提出したのですから当然といえば当然です。同年代よりもずっとこれまでに書いてきた文章の総量が多い自信はあれど、「誰かに自分のことをわかってもらう」という方向性を意識して書いたことはあまりありませんからね。こういうものはやはり定石を知ることが必要なのでしょう。

 二月にもうひとつ選考へ応募し、これは書類審査と適性検査なるものの一次審査に通ってしまいました。ところが次の面接があまりにひどいもので、案の定落ちました。自己紹介で詰まってしまってはどうしようもありませんね。

 そして今に至ります。さすがに追い詰められているという自覚はあったので、今月のはじめに友人から勧められた就活エージェントというものに登録しました。誰かに管理されないとうまく生きていられない自信があります。ディストピアもあるいは理想の社会かもしれません。もっとも、これは主体性や行動力を求めている就活の世界において明らかなマイナスでしょうから、いかに隠せるかやいかにカバーできるかを考えておくべきでしょう。

 サイトから登録し日時を設定すると、最初にエージェントとの面談がありました。志望業界や在学中にしていたことなど、私自身について聞かれます。そういえば「就活をいつまでに終えたいか」みたいな項目があり、私はなるべく早くにと答えました。正確には「とりあえずどこかひとつ内定を取っておきたい」ということですが、これでよかったんでしょうかね。受験時は最後の方に受けたひとつだけ合格し、それも発表を見たのは本当に最後の受験中の昼休みでしたからね。ああはなりたくなかったのです。

 

 

 ところで、就活中によく聞かれるものとして「学生時代に力を入れたこと」と「自身の強み」がありますよね。両者とも委員会での経験を使っています。人間関係然り、本当に入ってよかったと思います。

 力を入れたこととしては、対外部での仕事を挙げています。対外部というものは、突然外部とサシでおはなししなければなりません。学校の名前を背負っていることや金が絡んでいることもあり、新人へのプレッシャーは相当なものです。以前からマニュアルはあったものの、古いものがそのままになっていたので実態に即していないことも多々ありました。最近では開催形式や感染対策についても言及しなければならず、そのあたりがちょっとした指示で済まされていたことも問題でした。

 そこで、我々の代が指導者となった際にマニュアルを根本から作り直しました。自分たちの経験を元に、わかりにくかった部分を改善したのです。新入生たちに対してはこれを使った研修を実施し、我々が電話するところを実際に見てもらってイメージを掴みやすくしました。また、最初は彼らが電話する際に近くにいて、いつでも質問や救援要請を受けられるようにしました。

 無事に協賛を取り付けられた場合は、印刷物かデータファイルかの違いはあれど最終的に請求書と領収書がどの場合でも必要になります。共有ドライブからテンプレートをダウンロードして企業名や金額、日付を入力したものを各自作るという手順を踏んでいましたが、操作に慣れていないとレイアウトを崩してしまうことが多くありました。元のファイルが狂っていたのかもしれません。

 そこで、エクセルのマクロを用いて請求書と領収書のジェネレーターを作りました。コントロールパネル代わりの別シートに企業や自分の名前などの情報を入力してボタンを押すだけで、自動で書類を生成してくれます。広告のサイズや数を入力すれば合計額は自動で算出され、日付も今日のものが自動で入ります。敬称も「御中」と「様」がボタンひとつで切り替えられるので様々な状況に対応可能です。また、PDF化や印刷もボタンから指示できます。

 こうして、仕事の一部やその手順を誰もが同じようにできるようにすることで、新入生を含めた部員の負担を軽減しました。

 自身の強みとしては、他校の実行委員会とのコラボレーション企画のことを挙げて「調整力」と言い張っています。

 元々は別の部署で企画していたものだったこともあってか、対外部に流れてきた時点で割けるリソースは非常に限られていました。その上、相手側との利害認識が食い違っており、議論が平行線のまま時間が過ぎていました。それぞれ自校の大学祭を宣伝したがっている点は同じですが、相手側は自分に都合のいいプランを主張していたのです。

 当初の計画では、互いが取材対象となる動画をふたつ作成し、それぞれの大学祭に間に合うよう公開するということになっていました。それが、両方とも後に開催される相手側の大学祭で公開したいというのでした。当然、これでは我々の大学祭の宣伝にはなりません。

 私はこのことをわかってもらえるまで伝えると共に、残り少ない時間でも撮影や編集が間に合うように両校を宣伝できる1本の動画を撮影するというプランを提案しました。これには相手側のメンバーも納得し、無事に企画は終了しました。また、これを機に両校の実行委員会の交流が生まれ、次年度以降もコラボレーションを行う目処が立ちました。

 これを行動力や提案力からなる調整力だと言い張っているわけです。自分でもうまくまとめられなくてすごいふわふわした表現になってしまったという自覚はあります。どう書いたらいいんでしょうね。

 

 

 さて、おはなしの結果として勧められたのが福祉や介護の業界でした。とりあえず話は聞くということになったのですが、ここでひとつ知覚した呪いについて書いておきましょう。あまり読んでいて気分のいいものではなさそうですね。

 別に驕るのではありませんが、私はけっこういい人生を送ってきたと思っています。見てくれはよろしくなけれども程々に健康な肉体と、近頃は病みがちで不安なれど程々に健康な肉体に私は生まれてきました。そして、生まれ育つ環境は温室のようでした。飢えや貧困による致命的な苦労とは無縁で、周囲にいる人間も同じような存在ばかりだったのです。

 大人からはいい学校に入っていい会社に入ることがいい人生だと教えられ、私はそれが当然のものだと思って育ちました。全員が全員ではなくても、周囲の友人もほとんどが同じように考えていました。

 ですから、そうではない道に異物感を感じるのです。それだけならまだしも、場合によっては気づけば内心見下していることは認めざるを得ません。休日のショッピングモールにいる髪を染めた若い親、面接に来た未成年に手を出すチェーン店のアルバイト、SNS映えを狙って炎上する無職。彼らを見る時、私はたしかに彼らを見下し、軽蔑し、自分が彼らのような道にいないことに安堵するのです。

 私は根拠のない自信で彼らとは違う場所に自分が行けると信じています。この自分が彼らと同じところに堕ちるなんてありえない、彼らとは違う生き物だと無意識に考えます。それでも現実はそううまくはいかないもので、中学受験も大学受験もろくに努力しないでいたせいでかなり危うい経験をしました。

 特に大学受験はよく名が知れているようなところばかりを受け、当然落ちました。自分でせめてここにはと設定した滑り止めでさえ、多少ランクは下がっても有名なところではあったのです。それ以外は考えることもできなかったといったところでしょう。

 現在、私が通っているのはかなり有名なところと言って差し支えないと思います。レベルとしても、全体からすれば上のどこかには入っているはずです。幼い頃から文章に触れる機会が多く、そのおかげで小論文を使い奇跡的に合格できたという認識です。

 そして今、就活でも同じような状態に陥っています。最後には自分にとってどうなのかということがすべてですが、どうしても「いい」道にいるかどうかが気になっています。よく知りもしないで、そうでない道にあると思っている仕事を忌避しているのです。

 エージェントから紹介された福祉や介護も正直そうです。老人や障害者を相手に、安い給料で自己を犠牲にして奉仕するというイメージが拭えず、そんなことを一生続けるなんて嫌だと思っています。「若さ」を老人に搾取されるみたいです。

 私にとって、ヒトの価値を決めるのは「言葉」です。私と近い言葉で会話できる相手や、美しいとか面白いと思える言葉を使う相手のことが好きです。ですから、価値観が違い過ぎる相手だとか会話できない相手とはわかりあえません。老人は大抵そうだと私は思っています。

 自己申告でいいのなら、細かいところにおける私は善性を持っています。弱者を踏みつける冷たい悦楽より、弱者に手を差し伸べる偽善じみたあたたかい悦楽をよしとします。感謝されてちやほやされて肯定されることは大好きです。

 でも、それを一生の仕事にできる気はしないのです。奉仕を使命として身を粉にする熱さも、ただの仕事として割り切るドライさも持てません。相手を嫌悪する私とそうしきれない私とがいて、ひとりでいたがる私とヒトとの交流や会話を求める私とがいて、精神論を軽蔑する私と少し理解できる私とがいて、それらの矛盾をいずれ私は抱えきれなくなるでしょう。

 こういう理由で、私に介護や福祉は向かないと思います。今は、知人からの影響もあってSEというものを考えていますが、他にどういうところが向いているのか、そもそも今から間に合うのかはわからないままです。

 

 

 もうひとつの呪いは、我が元友人から受けたものです。これは単純に金の話です。恨んではいませんよ。

 「おまえが仮にどこかへ就職できたとしても、自分のいるところより高い給料のところに入れるとは思えない」、「養うよりは養われたい」、「誰かとすることが自分のリソースで決まるのは重い」、これらは元友人が言っていたことです。これらすべてを同じタイミングで言ったのではありませんし、今となってはその真意を知ることは叶いません。

 また友人になってくれるか以前に敵対状態を解除してくれるかどうかも不明ですし、あらゆる人間が元友人のようではないということもちゃんとわかっているつもりです。より給料の高いところに入って見返してやろうというのではありません。また認めてもらうために就活をするのでもありません。それでも、かつて聞いた算出方法や内訳もわからない額面のことが気になって仕方がないのです。

 給料というのは大きな問題です。仕事の選び方の他の要素が、私にとってはまだいまいちピンとこないのです。好きなことだとしてもそれを仕事としてやっていけるかはわからないし、職場の雰囲気がいいとしても私が馴染めるかはわかりません。さっきの介護を例に挙げるのなら、心の底から善心と慈愛に満ちた人間ばかりの場所において私は汚いだけでしょう。それでも金と休みだけは変わらないものとして信頼できるような気がするのです。

 呪いというのなら、対人関係においてもその呪いはあるのかもしれません。私と元友人とは共依存のような状態にありました。それが突然消えたことによる喪失感はとても痛いもので、信じてくれていると思っていた相手、自分も信じていた相手から突然拒絶されることへの恐怖が生まれたような気がしています。

 それが、顔と名前と個性のある個人として互いに認識し交流することへの恐れをも生んだのかもしれません。以前から否定とか拒絶は私にとっての地雷でしたが、それがより強くなったことは確かだったと思います。

 金があることは結局大事です。豪勢な暮らしはできずとも、貧困に喘ぎたくはないものです。できれば、今の生活からレベルを下げないでいたいです。生活レベルを下げるのは大変らしいですからね。

 

 

 とはいえこんなことをエージェントに言えるわけもなく、説明会にはとりあえず参加してみるということにしました。登録するとマイページへ案内され、そこにエージェントが選んだ企業の情報が届くようになっています。

 言われるままに操作したのですが、説明会参加のボタンが「応募する」でした。説明会と第0次とでもいうべき最初の選考が同一であるためのようでしたが、うまいこと誘導されたようで不安になりました。

 これまでに3社の説明会を受けました。介護といってもすべてが実働部隊とは限らないと思っていましたが、これは部分的に合っていました。どこも管理職を目指すことは可能なようですが、最初は現場からというのも同じのようです。

 自社説明会というだけあって、よさそうな印象は受けました。とはいえ上述の懸念は消えず、やっぱりやめるべきか贅沢は望まずに応募だけでもしてみるべきかをずっと悩んでいます。

 今は、ずっと焦燥感に追われています。私がやっと動き始めたのはいいものの、今やっているのはこれでいいのか、何かが今にも手遅れになるところではないのかという焦りがずっとつきまといます。

 ある説だと、3月中に20社以上へ応募するべきとされていました。その中から書類審査に落ち、適性検査に落ち、面接に落ちてそれでも残ったものが内定ですから、数は揃えなければなりません。私は常人より就活に向いていない自信がありますから、多く出さなくてはならないのは自明です。

 これまでの3社は、ものすごく入りたいというまでには至っていません。そういうところをこれから探し、さらに応募までというのをあと半月足らずでできるのか、そもそも期限は大丈夫なのかということがどこまでも不安です。もっと早く動き始めるべきだったという後悔を珍しくしています。

 言ってしまえば備えもなしに今月を迎えたことが悪いのですが、エージェントがどう考えているのかは少し気になります。私の知り合いのひとりがかつてやっていたという「メンター」は、上級生が就活をサポートしてくれるというシステムでしたが、その申し込みは1月末で終わっています。申し込むべきだったかもしれません。

 エージェントを今でも申し込めるということは今からのサポートもできるということなのでしょうが、私に配属されたエージェントがどういう流れを描いているのかがよくわからないのです。勧められたところ以外申し込みをしないでいて大丈夫なのかが不安です。自分でも探してみようと思いますが、たぶんそうしたらどこをなぜ受けたかとか逐一聞かれるんだろうなとか思うとコミュ障は少し鬱になっています。

 ところで、説明会ってどこもオンライン会議だったんですが、それなのに顔出しとスーツ着用を要求してきました。どちらも正直理解できません。強引に解釈するのなら前者はまだ本人確認と解釈できなくはないのかもしれませんが、私の中ではちょっと精神論者というかそんな感じの嫌悪感があります。いずれはこれにも慣れなくてはならないでしょう。