ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

[2021] 9月に書く、8月の生存報告

季節の変わり目にはいつだって「いざとなるとやっぱり惜しいからもうちょっと待てない?」となりがちですが、夏→秋は特にそんな感じですね。もう9月が終わっただなんて信じ難い気分です。以前にも書いた通り、私としては蝉がいる限り夏だと思いたいところですが、「蝉が鳴き始めた」ことはわかっても「蝉が鳴かなくなった」ことはわからないので悩みどころです。悪魔の証明ってやつでしょうか。

秋も嫌いではありません。ハロウィンがありますし、かぼちゃやさつまいもがおいしい季節です。野菜は基本的に嫌いではありませんが、その中でも特に好きなふたつです。ちなみに、私は丸亀製麺に行くと大抵かぼちゃかさつまいも(もしくはその両方)の天ぷらを一緒に食べています。おいしいですよ。近年はイカも食べるようになりました。

さつまいもといえば、親がさつまいもを輪切りにして揚げたものを以前出したのですが、何かの手違いで衣がもちもちしていました。これが案外おいしくて、いつも通りはちみつをかけて食べるとさらにおいしいものでした。どれとどれを取り違えたのかはわかりませんが、今度聞いて作ってみてもいいかもしれません。天ぷらに限らず何も揚げたことありませんけど。要求料理スキルレベルが高そうな調理法です。

天ぷらといえば、回転寿司でたまに見かけるとうもろこしの天ぷらもおいしいですね。親がたまに作ってはくれますが、いつも大変そうです。これを手伝うところから始めてみるべきなのかもしれませんが、油からのプロテクターは準備した上で臨みたいところです。手にやけどは負いたくありませんからね。

すっかり脱線してしまいました。秋に楽しみがあるのはいいことですが、日暮れが早くなるのは少し気に入らない点です。小学校の頃はこのことが結構深刻な問題でした。塾への通学路に玄関のドアがガラスになっている建物があり、外から玄関が見えるのですが、そこには非常口の灯りがあったのです。ピクトさんのあれです。

なぜだかは未だによくわかっていませんが、「暗闇を照らす緑色の光」というものが私はどうも苦手です。SWのレーザーやライトセーバーとかならいいのですが、特に暗闇の非常口の灯りが苦手なのです。というか、正確には怖さを感じるのです。アルの最後の出勤日、消灯されたバックヤードでアルの肩越しにピィィィィイイィィィィィィ*1*2とかやってやろうかなと思っていましたが、実は私自身も怖かったのです。それも暗闇にぽつんと非常口の灯りが灯っていたからです。

冬になれば日没が早くなり、帰る頃にはその建物も闇に包まれてしまいます。すると緑色に照らされる玄関を見なくてはならなかったので嫌だったという訳ですね。学年が進めば夜遅くまで塾の授業があったので夏ならよかったということでもないのですが、寒さに弱かったこともあって冬は苦手でした。今でも変わりませんけど。

タトゥイーンのバイナリー・サンセットは大好きですが、現実の夕方はそこまで好きではありません。もう帰らなくてはならない時間*3を示すからかもしれませんし、塾*4やバイトといった正直行きたくないところへ行かなくてはならない時間を示すからかもしれません。

それでも、夏の夕方だけはなんとなく別物という感じがします。夕陽とビーチの相性がいいからかもしれませんし夏祭りの到来を告げるからかもしれません。何にせよ、「夜はこれから」というか、まだまだ今日にも楽しいことが残っている感じがするような気がします。おとなしく自室でひとり過ごす夜も好きですけどね。

というまえがきだけ書いて放置されていたのが今回の生存報告です。これまでまえがきだけ書いて放置というのはあまりなかった気がします。

2ヶ月も後になってようやくアップするというこの悪習が始まってからどれだけ経ったでしょうか。ちょくちょく書いてはいるつもりですが、今回もなかなか終わりませんでした。

確か、9月の内に1日4000字のペースで書いていれば5日で終わることに気づいていたのですが、案の定このペースを保てたのは最初の1日だけです。もはやペースと呼ぶのも躊躇われるレベルですが、三日坊主にすらなれないのが現状なのです。1日しか続かないことを考えると、次は1日に20000字書くということにすればいいのかもしれません。

というか、そもそもこういった努力の継続こそ私が最も苦手とするもののひとつであり、避けて通ってきた道であり、幾度となくできっこないと実証されてきた手段であったはずです。趣味*5でさえそれは変わりません。ゲームがそうですからね。

あらゆるイベントは溜めに溜めた後で終了間際に取りかかりますし、恒常のコンテンツだって毎日コツコツという奴が出来た試しがありません。それゆえに連続ログインも嫌いです。

 

 

<アルバイト>

先月末で消えていったロイドの話は覚えていますか?私は特にその者を嫌いではなかったのですが、その「最後のひと仕事」は好きにはなれませんでした。

以前、アルは辞めていく際に遺産として締め作業のマニュアルを遺していきました。私自身もある意味ではアルの遺産なのかもしれませんが。これはなかなか出来のいいもので、人によって指導方針がかなり異なりがちな217号室においては唯一の確固たる指標でした。私は幸運にもアル本人に指導してもらう機会に恵まれましたが、まだ見ぬ新人にとってもこの上なく有益なものであることは間違いないでしょう。

もっとも、遺産を遺さなくてはならないという決まりがあるとも限りません。かつてアルから聞いた「頻繁にボウルを割る女」が何かを遺していったという話は聞きませんし、それ以外の人々についても同様です。アルは純粋に感謝の気持ちを込めてマニュアルを遺したのかもしれませんし、ひょっとするとただでさえ危機的状況にある217号室が自身の退職後にどうにもならなくなることを危惧して仕方なく遺したのかもしれません。

とまぁ、きっとロイドもそんな感じで何かを遺そうと決意したのでしょう。それは立派なことです。私では「ギリギリで怒られない店での暇潰し10選」が関の山でしょうから。ただ、その遺したものが問題だったのです。

その遺産というのは、「新人目標シート」と銘打たれたひとつのwordファイルでした。不思議なのかそうでもないのかはわかりませんが、今までそんなものはありませんでした。それをロイドが作ってしまったようなのです。

今月の目標とそれを達成するために心掛けること及びその反省、笑顔や挨拶など複数の項目の自己採点&他者採点といったような字が並んでいます。平たく言えば、私が考えもしないし考えたがらないようなものたちです。

勤め始めた当初に言われていたことのひとつに、「出勤日にはひとつ商品を覚える」というものがありました。まぁ目標としてはわからなくもないものですが、そんな感じでやっていったらいつかは店の商品すべてを覚えることになってしまいます。毎回そんなことをしてるなんてどう考えても面倒ですし、いつかは忘れます。

思えば受験の頃もそうでした。少しずつ覚えればいいのに、始めてもいないうちから続けていくことへの拒否感が勝って手も付けないということを英単語でも日本史でも繰り返していたものです。変わりませんね。

幸いにも最近ではあまり言われなくなっていたのですが、今回かなり久しぶりに聞きました。できればそのまま忘れ去られて欲しかったと切に思います。

これを渡してきたのはアルマンでしたが、その時に「働くには目標があった方がいい」と言って渡したのです。なんでも、ロイドは自分が新人の頃に欲しかったものを作ったとか。

確かにロイドはやる気のある人間でしたし、店への適性もかなり高めの様でした。もしこれがすでにあり、アルマンが新人の頃のロイドに渡していたら、きっと喜んで取り組んでいたことでしょう。

ただ、ロイドが「自分の欲しいものを作ったのだから他の新人もきっと喜ぶだろう」とか思ったのかどうかは知りませんが、私にはまったくの逆効果でしかありません。「出勤日にはひとつ商品を覚える」というものも、あくまで理念というか理想というか心づもりくらいであるべきだと思います。それをわざわざ明文化して記録までするとなると、息苦しいだけでやる気を呼び起こすどころか出勤が憂鬱になる効果をもたらします。

月ごとの目標も同じです。さすがに毎月同じでは許されないでしょうから、毎月違うものを考えなければなりません。しかも、それはアルマンに突っ返されない程度の意識の高さと私が無理なくやり遂げられる程度の意識の低さを併せ持たねばならないのです。

出勤するごとに、もしくは新しい月を迎えるごとに、これらのタスクは再生します。しかもそれまでの手は通じません。タスクをこなすごとに諸々の難度や面倒さが上がっていき、真綿で首を絞められているような気分になります。

別の例えをするのなら、きっとシャトルランでしょう。体力測定でやらされたあれです。中学校以降は学校の方針で持久走を選択させられたためにやらなくなりましたが、小学校でやった分だけで十分嫌でした。

そもそも走ることを含め体を動かすこと全般が苦手な上に、焦らされて右往左往するのが大嫌いでした。きっと、どうにか辿り着けてもその次があること、だんだん余裕がなくなっていって最後には脱落するということが心底苦手だったのです。

8月は月の半分しか出勤しませんでしたからそこまででもありませんでしたが、今後はそうはいきません。どうしたものでしょうか。これが今月だけで終わることを祈る他はありません。まったく、実に余計なことをしてくれたものです。

 

 

<学校>

正式に夏休みです。宿題はあったような気がしなくもないですが、手は付けませんでした。どうせロシア語です。あと英語です。

本来なら学校に行く用事はないはずですが、委員会の活動がありました。10時から16時までの活動です。この間ずっと企業に電話かけをしなくてはならないと思うと憂鬱でした。朝早くに起きて出かけなくてはならないのも憂鬱でした。

ところが、緊急事態宣言がどうのこうので活動がオンラインに移行したのです。結局免許合宿に出発するまでの約半月、1回もキャンパスでの活動はできませんでした。つまり、8月は1回も行かなかったことになります。

結果、そのすべてがオンラインでの活動となりました。16時に終わるなら帰りにみんなでサイゼに行くことだってできたでしょう。最寄りにサイゼはありませんでしたけど。その芽が摘まれたことは残念でなりません。

一緒に学食へ行くことはたびたびありましたが、これまで大学の友人と帰りに夕食を共にしたことがまだないのです。願わくば酒も飲みたいところです。店が営業していて各々の行動は自己判断に委ねられるような状況であれば、喜んで食べに行っていたことでしょう。

最初にした仕事は継続企業への電話かけでした。去年協賛した企業へ「去年はありがとう、今年もどうですか」と声をかけるということですね。どこにまだ電話をかけていない、どこが拒否した、どこはいつまでに返事をよこすなどの進捗は共有のスプレッドシートで管理されました。

そのスプレッドシートのリストにある企業数を対外の人数で割ると、どうやらひとりが5件にかければ終わるようです。活動に参加できない人もいるでしょうし必ずしもそううまく終わるとは限りませんが、5件やっておけば少なくとも文句を言われることはないはずです。

その5件ですが、「今年もやるよ」というところや「今年は情勢を鑑みてやめとこうかな」というところはまだいい方でした。ある電話先は「今は忙しいし明日から休暇だからしばらく後にしてくれ」の一点張りでしたし、最悪なパターンでは要件を伝えたのに「今は忙しい、また後でかけ直してくれ」と返してきて、実際に後で再度電話すると「忙しいと言っただろう、今年はやらない」と言うのでした。

正直、私は相手が首をどっちに振ろうがそこまでの興味はありません。むしろ、断ってくれればその後の手続きややり取りをせずにすみますから、そっちの方が都合がいいまであります。断られましたと報告すればそれで済みますからね。ただ、これについては話が別です。

忙しいのは結構。だから後でかけ直せというのも構いません。何時にかければいいのかを聞いても頑なに後でとしか言わなかったのだって、寛大な心で水に流してやってもいいでしょう。

気に食わないのは後で電話した時にも忙しいとしか言わず、ただやらないとだけ告げたことです。もちろん、経営状況や宣伝効果の見込み、去年の協賛がもたらした結果あたりを考えた結果として、今年は協賛しないというのならわかります。

ですが、もしそうなら理由も添えるのが礼儀というものなのではないですか?というか、私はこっちだろうと睨んでいますが、ろくに考えもしなかったのではありませんか?そもそも告げるべき合理的な理由など最初からなかったのでは?

そして、その程度のことでしかないのなら、どうせ考えもしない内から結論が決まっているのなら、最初に電話した際にそう言えたのではないですか?こっちはわざわざ時間を割いて2回電話してやっているのです。嫌がらせのつもりですか?

広告を載せて頂くという気持ちが欠けてはいませんか?言うまでもなく、こちらには載せさせてやっているという自覚があります。双方が真摯な態度をもって対話に臨まなければ、コミュニケーションなど夢のまた夢です。

あちらには協賛してやっている、こちらには協賛して頂くという気持ちがそれぞれあるルートでもよかったのかもしれませんが、協賛があってもなくてもたいして変わらないという結果を知っている身では、とてもそんな気分にはなれません。互いが謙虚になって協賛して頂く、協賛させて頂くという考えでもありでしょうが、こんなもの人類にはまだ早過ぎます。

思えば、相手の声は老人のものでした。こういうところから老人は若者を未熟者として軽視するようになり、若者は老人を邪魔者として敵視するようになり、世代間対立は深まっていくのです。

こんな人々のためにワクチン接種を後回しにされたり行動を制限されたかと思うと憤りを覚えますね。もうちょっと思い切りがよければ、毎晩のように路上飲みに興じる反政府勢力となるところでした。

 

 

<免許>

25番房記録の前編と後編は読んで頂けたでしょうか。読んで頂けるとちょっと嬉しいです。たかが1週間の記録がどちらとも10000字を優に超えるとは思いませんでしたけど。記録とか言いつつきちんと当日に書いた箇所は少なめでしたが、それでも一応の記録としては書けたと思っています。いくつか書き忘れていたこともあったので、こちらではそれも交えて振り返ります。

緊急事態宣言についての対応ですが、これについてはまったくわかりません。渡された文書はとりあえずのポーズに過ぎなかったのでしょうか。まぁ、「仮に合宿中に休校となった場合、帰りの交通費は出さない」とあったので、結果的には休校にならなくてよかったと言えるでしょう。無事終わりましたし。もっとも、何らかの連絡というか通達というかが欲しかったというのはあります。「明日わかります」以降、一切の情報は与えられませんでした。

あちらではこのことへの愚痴ばかり書いていたような気もしますが、教習所の配車システムとは最後までわかりあえないままでした。経路策定や高速教習、危機予測といった他の教習生と組まされて受ける教習において、複数回あったそのすべてで私は野郎とのみ、それも大抵は同じ者たちとのみ組まされたのです。

無論、私はここへ遊びに来ている訳ではありません。最優先されるべきは運転免許の取得であり、このことに疑いはありません。私はボルボックスと共に来ましたが、ひとりで来ている者だってたくさんいます。結局のところ、試験を受けるのは自分ひとりだけです。誰かの助けを借りずとも、免許を取得できるようになっているのは当然です。

しかし、だとしても、誰か友人を作って帰りたかったというのもまた否定できないのです。あと、願わくば同じような波長の者とか女友達も欲しかったというのもまた事実なのです。もっとも、これらの淡い願いは儚くも冷血なシステムによって葬り去られたのですが。結局、今回の自動車学校への数少ない(ただし精鋭の)不満点のひとつがこの配車システムとなったのです。

このように同行者という点ではほとんど恵まれなかった私ですが、指導員の方はそうでもありませんでした。最初の頃は乱暴な指導員がいるというレビューに怯え、ボルボックスとふたりでこの者は大丈夫だっただの今回の人は未知だから不安だのやってました。

特に印象に残っているのは3人。まずは先述の複数人教習経路編の男。もちろん野郎ふたりと組んだことにもダメージ判定はありましたが、事前に聞いていた「ひとりが運転する間他の者が後ろからナビを行う」という形式でなかったことがさらなる追い討ちとなったことは否めません。確かに教官によって異なるとは言われていました。それでも、これについて話した指導員ふたりがふたりとも「自分なら後ろからナビさせる」と言っていたことは考慮に値するのではないでしょうか。

次はいつも車まで日傘を(雨の日には普通の傘を)差してやってきていた女です。それなりにきつい物言いはされましたが、乱暴ではありませんでした。きちんとできたところは褒めていたように思います。私が①スピードを抑えめに走りがちであることと②右折など他の車の動きを見切って間に入り込むのを遠慮しがちであることを見抜いていました。最後の3人目とこの女はなぜかよく私に割り当てられてきました。完全なランダムではないのかもしれません。

最後は年配の男で、もっとも多く同乗したと思います。渋い雰囲気の御仁で、毎回の教習で最初に乗り込んだ際や信号待ちなど、車が発進する時に言う「さ、行こうぜ」の感じがとても好きでした。次第に話をするようにもなりましたが、指導も悪くなかったと思います。「ここがこの土地のメインストリート、別名がシャッター通り」とか、「ここのケーキはおいしいけど孫に買っていくとまたかと言われる」と話も面白い方でした。

レビューで他に貶されていたところといえば食堂ですが、特別まずかった印象はありません。量もむしろ多めで、さらにご飯を盛ることすら可能でした。普段はバイキング形式だったとありましたが、一定の品質が保証されている既製品やご飯&味噌汁という形式の今だからこそまともな味の食事だったのではないかという疑念が残ります。ちなみに、ホテルの方もおいしい食事が出てきたそうです。

ただ、欠点のひとつとして挙げられるのが野菜の少なさです。朝は粉末のインスタントスープ、昼は丼か麺に載っている具、夜は弁当の具から摂取するしかありませんでした。バランスの悪さは否めません。

特に生野菜はほとんどなく、大抵は何かしらの調理がなされていました。どこか他から運ばれてくる製品である以上は当たり前のことなんでしょうけど。弁当に入っていたブロッコリーは仕様なのかそうでないのか、濃い塩味がしました。ハンバーグの店「さわやか」で久しぶりに食べた生野菜のサラダが刺さり、ボルボックスが帰り道のコンビニでサラダを買って帰ったのも無理からぬことと言えましょう。

食べ物といえば、食堂で食べたものでもさわやかで食べたものでもないものも思い出されます。すなわち、どこか外で買い込んできたものたちです。

魔剤とコーヒーのお世話になったことは言うまでもありません。最初は教習所ロビーの自販機でどちらも買っていましたが、後に魔剤は数円安くてバリエーションも豊富なコンビニもしくはドンキ産のものを買うようになり、コーヒーもドンキで2Lのものを買って房に置いておくようになりました。

我々の中で、コップに注いだコーヒーはシールドセル、魔剤はシールドバッテリー、ZONEはフェニックスキットと呼称するようになりました。ZONEがフェニックスキットだったのは色が少しそれっぽかったからです。

当然、これらは眠気覚ましのために買っています。なのでコーヒーはブラックを選択していました。以前からブラックを度々飲んでいたのですが*6、それは「苦いけど飲めなくはない」といった感じでした。

それが、25番房でシールドセルを巻き続けた結果、わずかな抵抗も感じなくなったのです。水や茶のような他の飲み物を飲むのとまったく同じように飲めるようになってしまったのです。こればかりは、東京に帰った後も直りませんでした。

私は非活動的という自覚がおおいにありますし、炊事も大の苦手です。その上ものぐさですから、もう救いようがありません。最近では、電子レンジに突っ込むだけのパックご飯ですら面倒がって食事を抜くこともしばしばです。ただ、そんな私であってもカップ麺とは縁の薄い人生を送ってきました。

まったく食べないということはありません。有名店のインスタントバージョンはたびたび食べます。なぜか、カップヌードルだけを特別食べないで過ごしてきたように思うのです。この原因については様々な仮説が提唱されていますが、現在最有力視されているのは「辛いから」という説です。

常人なら感じないようなレベルの辛さであってもダメージを負う私です。どうせわずかな胡椒にでも被弾していたのでしょう。正直今でも感じなくはないのですが、それでも久しぶりに食べてみたら案外大丈夫だったしおいしかった、という話でした。

チートスというスナック菓子をご存知でしょうか。いかにもジャンクという感じの、パッケージにチーターのキャラクターが描かれたチーズ味スナックです。私はこのジャンク具合が結構好きなのですが、東京のコンビニを覗いても最近では見つからず、悲しくなっていました。

ところが、買い出しに行ったドンキであっけなく見つかったのです。きっと東京のドンキでも売っているのでしょうが、久しぶりに会えたチートスに感動したのは事実です。

25番房記録に書いたように、忙しさに差があったのも印象的です。基本的には1日に2コマ(前期)か3コマ(後期)の技能教習が入りますが、学科教習はそれぞれのフェイズの前半に詰め込まれたので、後半にはほとんどなくなっていたのです。

私とボルボックスが危うく寝過ごしかけたのは技能教習だったので学科教習についてはわかりませんが、おそらく学科教習での出席は取られていなかったのだと思われます。技能教習で呼び出しがあったのは、配車券の発券機で状況を把握されていたためなのでしょう。

それゆえに、例外を除いて配られた時間割通りに必ず受けなくてはならないということはないのです。実際、ふたりともの時間割では空きコマになっていたコマにボルボックスはその後受ける予定だった内容の教習を受けています。もちろん、そうすれば本来受ける予定だったコマが空く訳です。

なお、そのコマに私は応急救護教習を入れられていました。煽られたことは今でも忘れていませんからね。

それでも問題なく我々は卒業できています。つまり、期間内に指定の授業すべてを受けてさえいればその詳細はどうでもいいということだったのでしょう。すべての授業が少なくとも1回くらいは猶予を持っていたはずですが、それの世話にならずに済んだのは喜ぶべきでした。

そうそう、肝心の運転について書いていませんでしたね。最初に突き当たった難題であり、最後まで苦手なままだったのがカーブです。距離感の掴み方と言い換えてもいいでしょう。人間関係と同じですね。

ハンドルを切る角度や速度がどうにもわかりにくく、思うように車を操ることができません。そういう時にはどの指導員も決まって「カーブの先へ先へ視点をやるんだ」と指導してくるのですが、この意味は理解できないままでした。

ハンドルの切り方には苦戦しましたが、それは速度についても同じでした。速度を出すとやはりハンドル操作も難しくなりますし、情報処理もさらに高速で行うことが求められます。第一、ぶつかったらどうしようという本能的な恐怖が消えません。

もっとも、公道では高速が危険なのは確かですが、一方で低速も危険です。後方車両の邪魔をすることにもなり、今日では煽られる危険も想定されます。

やっぱり、東京で運転する度胸はまだありません。そうこうしているうちにせっかく多少なりとも習得した運転技能も衰退していくのでしょうから、少しくらいは乗った方がいいのでしょうけど、家の近くの狭い道を初心者マーク付きの車が車体を壁にごりごり擦って破片を撒き散らしながら抜けていくのを見た後ではそんな気にはなれません。

最後の夜(延泊なしと仮定)、我々はどうせ今更足掻いたところで何も変わらないという合意に達し、のびのびと過ごしていました。その際、私は発言まとめみたいなのを作ってみようと思い立ち、ボルボックスが荷物整理に現を抜かす*7横で、この2週間の出来事を思い出して発言メーカーで遊んでいたのです。その結果として完成してしまったのがこれです。

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完成した後で見返してみると、そのほぼすべてが私の発言か私の言動へのコメントになってしまいました。どうしてでしょうか。

各項目の解説はおいおいやるかもしれません。そんなに面白いものでもないんですがね。

 

 

<いろいろ>

友人のひとりに、大学に入って以降新しいことへずんずんと挑戦している者がいます。今では野外活動サークルなるものを立ち上げるまでに至り、日々精力的に活動しているようでした。実に楽しそうなので、私としてはこのサークルがインカレ化するのを祈るばかりです。

ここのメンバーかどうかまでは知りませんが、ある時彼は学校の仲間と共にお茶会を開催しました。その写真も拝見し、実に楽しそうな会でした。インカレ化が駄目ならせめて弊学に支部でも作れませんか?

この写真を見た者は当然私だけではなく、私がいるコミュニティ*8の者たちも見ていました。そして、私と同じ感想を抱いたのです。「某鯖でお茶会したいなぁ」と。

彼は快諾し、お茶会が開かれる運びとなりました。なんと、小さいながら1件の家を貸し切りにする形で行われる規模のものです。最近のレンタルスペースはすごいですね。

私は当日朝帰りしており、数時間後にお茶会に向かう手筈だったのですが、またもや見事に寝過ごしました。後でわかったことですが、主催の彼は私のことを「こんなんで社会に出てからやっていけるのだろうか」と心配してくれていたそうです。たぶん駄目です。

慌てて現地に向かうと、どうにか調理中に間に合いました。調理に励んでいたのは数名に留まり、残りは上でジェンガに興じていたそうですから私がおらずとも一切影響はなかったのでしょうが、せめてもの埋め合わせとして持参した手土産を渡します。

実は、今日に備えてキッシュを自作していたのです。これは母親から教わったレシピであり、私の好物でもあるのですが、家ではなかなか食べられない悲しい品でもあります。父親と妹があまり好きではない*9のでそもそも献立に選択されることがあまりないのです。今回はそれを作り持ってきました。餅'sキッチン第2回ですね。

申し訳程度に手伝いをしたところで他の品も出揃い、いよいよお茶会の幕が上がります。現地で調理されたものに加え、クッキーやマカロンなど他の参加者が持参した品も並びます。お茶は主催者自らがセレクトした品で、どれもおいしく頂きました。私のキッシュ(というか母親のレシピ)も好評なようで安心しました。また作ってもいいかもしれません。

なお、私はとっても単純な人間なので皿が何段かに積み重なった奴*10があるだけでお茶会っぽさを感じていました。アフタヌーンティーによくいるあれです。今回はその皿にスコーンやクッキー、キッシュが載せられていたことでよりお茶会っぽさが増していましたが、たぶん焼いたスライスチーズとかローストビーフとかアジの干物が載っていてもお茶会っぽさを感じていたことでしょう。

ちなみに、これは主催者の私物だったそうです。そこまで高いものではないのでしょうが、彼はいったいどこへ行き着くのでしょうか。今から楽しみです。サークルがインカレ化するかどうかも楽しみです。

この少し前は彼の誕生日だったので、誕生日プレゼントもこの日に渡しました。『ノスタルジア食堂 東欧旧社会主義国のレシピ63』というレシピ本です。私は人へのプレゼントを見繕うのが苦手な部類ですが、この本はヴィレッジヴァンガードで偶然見つけたもので、彼にピッタリだと思い贈ったらとても喜んでくれました。次回のお茶会も楽しみです。

先月どうにか予約を取り付けていたワクチン接種にも行ってきました。副作用がひどいとの噂だったので、翌日はバイトのシフトを抜いてあります。万全の備えです。

会場に入り各種書類の確認を済ませると、もうすぐそこに接種区画が迫っています。いくつか仕切られた区画があり、空いたところから割り振られていくのです。ちょうど、コンビニのレジに似ています。

ところが、列に並んで区画が空くのを待っていたところ、「ワクチンの準備に入る、そのまま待て」との告知が出され、列が止まってしまいました。この日は接種直後なら問題ないだろうとバイトを入れていましたから、あまり長く待たされると遅れるかもしれません。

気長に待つこと約30分(体感)、ようやく準備が完了したらしく列が再始動しました。そうなると早いもので、5分としない内に針が私の腕に突き刺さっていました。たったこれだけの差で30分待たされたかと思うと癪でした。

接種が終わると、いかにも薄っぺらくて安っぽいタオルとチラシを渡され、15分待つように言われました。チラシには接種後に起こり得る副作用や現象について記載されています。これらへの対策として休むのかもしれません。

タオル(手拭いの方が近いかもしれません)は水に濡らすと冷たくなるというタイプのものでした。そういえば、これと似たものを217号室で売っています。あちらはさすがにもうちょっとしっかりしたつくりにはなっていましたが、こちらはなんてったって無料配布です。217号室の商品はやはり高めなのかもしれません。

接種を終えた人たちが休むための区画が用意されており、そこに案内されました。等間隔に椅子が配置されており、そこに座って待つのです。椅子はすべて同じ方向を向いていましたが、その先にはモニターがあり、なぜか延々とパンダの映像が垂れ流されていました。癒しの効能でもあるのでしょうか。

椅子に座って待っていると、にわかに左斜め前が騒がしくなりました。どうやら、男がひとり体調不良を起こしたようです。待機していた職員が駆け寄り、症状の確認を行います。

ところが、状況は芳しくないようで、車椅子が運ばれてきました。そして彼は複数の職員に支えられて車椅子に移り、別の場所に運ばれたのです。運ばれる間、彼からは反応があまりなく、自分の頭すら支えていられないのが見えました。

接種を終えてすぐの私からすれば、なかなかにショッキングなイベントでした。実際、私のすぐ前に座っていて一部始終を間近で目撃していた女も体調が悪くなる兆候が見られ、職員にケアされていました。

その後、私は何事もなく観察期間を終えて会場を後にしました。バイトもどうにか間に合い、夜はおとなしめに寝ました。恐ろしい副作用に備えなければなりません。

ところが、翌日の朝になっても、噂に聞くような症状はありませんでした。多少熱が出たかもしれませんが、問題ないレベルです。腕もさして痛まず、必要に迫られればラジオ体操だってこなせたことでしょう。

さらにその次の日には平常時とまったく変わらないレベルまで戻っていました。時間を置いてから襲ってくるのかとも疑いましたが、そんなことは起こりませんでした。

何を打たれたのかわからなくなってきました。血液凝固剤やアドレナリン興奮剤でないのは確かでしょうが、本当にワクチンを打たれたのかには疑問が残ります。生理食塩水か水素水にでもすり替えられていたのかもしれません。

この上なく悲しいことに、天華百剣-斬-のサービスがとうとう終わってしまいました。受験した年の夏にはすでにプレイしていた気がしますから、2年か3年はプレイしていることになります。

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以前も書きましたが、数万くらいは突っ込んでいたゲームです。「データが消えたりサービスが終了すれば何も残らないものに金や時間を費やすなんて」という意見も聞いたことはあります。ただ、実際にそうなってみても後悔はなく、ひたすらにサービス終了が悲しいだけでした。いつか何らかの形でまた巫剣に会いたいものです。

最後は普段(こんなことに慣れたくはないものです)通り回収作業に勤しんでいました。iPhoneでよかったと思う瞬間のひとつですね。とはいえやはりひとりでは限界があるもので、絶望しかけてたところにYoutubeで大量の記録映像を発見し、「希望は失われていない」になりました。

もう繋がらないアプリも消せないのが私ですが、今回の場合はほんの少しだけ事情が違いました。なんと、タイトルまで繋がり、ランダム表示される巫剣たちのタイトルコールを聴けるのです。もちろんその後はすぐサービス終了のお知らせが表示されるのですが、これだけでも違うものです。

ところが、ボイスの回収時にBGMをオフにしたままだったからか、タイトル画面でもBGMが再生されません。ボイスはきちんと再生されますが、やはりタイトルにはBGMが必要です。付けたら付けたで悲しくなるので付けられないのですが、それでも消せないのが難儀だなって感じですね。

 

 

<PS4>

RDR2では、相変わらずギャング狩りに勤しむ一方で、セーブスロット式であるのをいいことに犯罪者になって遊びました。元から犯罪者ですけど。

ギャングの隠れ家を家庭訪問して好き放題に撃ちまくるのもいいですが、やはりどうしてもバラけてしまいひとりひとり殺していく*11ことになりがちです。その点、一般人はほどよく固まっていていい的です。

別スロットにきちんとセーブして、今回のための専用セーブデータを用意しました。これで心置きなく遊べます。

まずは装備を整えます。今回の装備はリボルバーを2丁、セミオートショットガン、ランカスターリピーター、おまけに火炎瓶というラインナップになっています。これらを手入れすると共に弾薬を買い込み、さらに各種回復アイテムも補充しました。これで準備完了です。

と思いましたが、服のことを忘れるところでした。RDR2では服を着替えることもできます。服は見た目を変えられるだけでなく、暑かったり寒かったりする環境でのスタミナ減少を抑えてくれる効果も持っています。防寒具ならば寒冷地で活動しやすくなるといった感じですね。

今回は特に過酷な環境へ行くということもないので、単純に見た目重視で服を買います。結果、スカルフェイスを意識して黒を基調としたコーディネートに仕上がりました。

次に、今回の会場を決めます。人が集まっている場所といえばやはり酒場ですが、それぞれの町にそれぞれ違う酒場があるので迷いどころでもあります。おなじみバレンタインのワイルドな酒場から大都会サンドニの豪華な酒場まで、それぞれの町の性格が表れていて面白いですよ。

悩んだ末、記念すべき第1回はローズという町の酒場に決めました。開放感のある吹き抜けが特徴的な、とても雰囲気のいい酒場です。さっそくローズへ向かい、一張羅に着替えて装備を整えました。馬から降りて酒場の戸を開きます。

時刻は夕方。酒場に人々が集う時間帯です。ここローズの酒場も例外ではなく、今夜も盛況のようでした。カウンターへ向かい、酒を1杯注文します。

酒を飲み干して店内を歩いていると、ボックス席のある区画を見つけました。紳士淑女が和やかに談笑しています。こちらが挨拶をすると、にこやかに挨拶を返してくれました。ここにしましょうか。

おや、彼らが話すのを止め、驚いたような表情でこちらを見ています。まぁ、無理もありません。さっき挨拶した紳士がショットガンを構えているのですから。

すぐさまデッドアイを発動し、ボックス席にいた人々に全弾をロックオン。解除と共に彼らの胸や頭に散弾が撃ち込まれました。体が吹っ飛んでテーブルに乗る者もあり、首なし死体となって崩れ落ちる者もあります。

後ろで客が悲鳴を上げ、出口へと殺到します。ボックス席は正面入口の近くにありましたから、皆さん裏口へ向かうようです。

たった数名しか撃っていないのにお開きではあまりにも味気ありません。火炎瓶を取り出し、出口へと投擲します。

何人かは無事逃れられたようですが、その後に続く人々には火炎瓶と燃えるアルコールが直撃し、火の海とはいかないまでも火の水たまりが形成されました。さらに数名がその中に踏み込んで火だるまになります。

ショットガンを再装填し、逃げ場を失った客を処分していたところ、法執行官の接近を検知しました。生き延びた客が通報したのでしょう。最後の客の足を吹き飛ばしたあたりで頃合いです。

断末魔の叫びを上げて床を転がる客を尻目に、惨劇の場と化したホールを出ます。ホールから伸びる廊下には貸し部屋がありました。もし借主がいたとしても、今頃は物言わぬ死体でしょう。部屋に入り込み、窓とドアが視界に収められる位置で息を潜めます。

にわかに外が騒がしくなってきました。法執行官が廊下までやってきたのです。ドアが開かれ、銃を構えた法執行官が突入してきます。

ドアが開かれるや否やショットガンが火を吹き、最初の訪問者は引き金を引く前にこの世から去りました。ドアの横にいた法執行官も、まもなく同僚と同じ運命を辿りました。血の池がいいドアマットになりましたね。

少し遅れてやってきた法執行官も始末すると、暇になりました。増援がすぐに現れますが、今は小休止です。ショットガンをリロードし、デッドアイゲージの回復アイテムであるヘビ油を飲み干し、ついでに法執行官の死体もまさぐります。弾薬だって無料ではないというのに、しけた持ち物ですね。

今度の増援もドアから侵入してきました。またショットガンで手足を吹き飛ばして倒してもよかったのですが、それではマンネリ化が避けられません。リボルバーを2丁持ちし、最初の法執行官の体中に全弾撃ち込みました。デッドアイを駆使した乱れ撃ちに、相手はなす術なしです。

彼は12個の穴から血を吹き出して崩れ落ちましたが、こちらは全弾撃ち尽くしてしまっています。残りが死体の山に埋もれながらも撃ってきました。すべては当たりませんし被弾してもかすり傷で済みますが、すぐに殺さなくてはなりません。次の的が補充されませんからね。

今度はリピーターで的確なヘッドショットを決め、無力化します。ショットガンのような派手さこそありませんが、持ち運べる弾薬数をはじめ堅実なのがリピーターのいいところです。心なしか弾薬の現地調達も容易な気がします。ちなみに、この場合の「現地」とは「さっき殺した死体の懐」という意味です。

今度のウェーブは窓からやってきました。馬から降りかけている法執行官を撃とうとしたら馬ごと殺すことになったり、窓の外を走って横切ろうとした法執行官をショットガンで撃ったらそのまま転んで死んだのが面白かったり、窓の外に火炎瓶を投げようとしたら誤って窓枠に当たり部屋の隅で縮こまるはめになったりはしましたが、問題なく鏖殺です。

廊下の死体が積み重なり、突入してくる法執行官も心なしか歩き辛そうです。同僚や友人の空虚な瞳に見つめられながら戦うのも嫌でしょう。そこで、次の法執行官の集団にはこの問題を解決してあげることにしました。

銃をリボルバーに持ち替え、落ち着いて1発ずつ撃ちます。急所は外しているので撃たれても即死はしませんが、少し怯みます。その遅延を利用して、複数名を戸口に集めました。

このあたりが頃合です。リボルバーをホルスターに突っ込み、今度こそ自爆しないように狙いを定めて火炎瓶を投げました。火炎瓶をまともに喰らった法執行官の全身が瞬く間に炎に包まれ、その炎が死体の山と他の同僚にも引火します。もはやキャンプファイヤーと化した死体の山が燃え盛り、綺麗な紺の制服も黒へと変わっていきました。

炎が落ち着くと、死体はどれも黒焦げになって燻っています。浄化の炎に包まれて彼らが成仏できたことを祈りましょう。山を踏み分けて廊下に進み、元のホールに戻りました。

外はとっくに明るくなっており、たくさんの窓から差し込む陽光にホールは優しく照らし出されています。新たなる追手は正面入口から突入してきましたが、この光の中だと最終決戦みたいで気分も高揚しますね。

カウンターを遮蔽物として身を隠しつつ戦い、客の死体よりも法執行官の死体が多くなったあたりでショットガンの残弾が心許なくなったので、今回はこのあたりにしておきました。セーブデータを退避させて決行した今回のパーティーですが、この分なら逃走も可能だったかもしれません。

メインのセーブデータでパーティーする場合のデメリットとしては、①儲けがない、②死ぬかもしれない、③極悪人まっしぐら、④ギャングの仲間から「罪のない人を大量虐殺している」と認識される、⑤逃げ切れてもしばらく町が封鎖される、⑥高額賞金首となり賞金稼ぎから狙われる身となるといったあたりでしょうか。覚悟さえすればどうとでもなりそうです。

レジェンズではいよいよ新シーズンが開幕しました。新しいレジェンドであるシアもアンロックし、何度か遊びはしましたが、結局はミラージュに戻ってきます。嫌いではないのですが、強い新キャラ枠を他の者から奪ってまでプレイするほど使いこなせはしないのです。

悲しいことに、スピットファイアとオルタネーターが同時に死んでしまいました。何もまとめて取り上げる必要はなかったのではないでしょうか。オルタネーターはともかく、アリーナでもバトルロイヤルでも常用していたスピットファイアがいなくなるのは由々しき問題です。

前回のシーズンでは、個人的にハボックと取り違えがちな武器第1位のボセックが追加されていました。そもそも狙撃が苦手なのでまったく使いませんでしたが、今回の新武器ランページはスピットファイアと同じタイプらしく、期待が持てました。

いざ始まったアリーナで使ってみると、スピットファイアと同じくらい使いやすいことが明らかになりました。レートが高くてもどうせ制御不能なだけですから、むしろちょうどいいくらいです。

ランページには、特有の機能としてテルミットグレネードによるブースト機能があります。シールドセルを消費して威力を高められるスナイパーライフルとかもありましたね。ブースト状態ならドアすら破壊可能らしかったのですが、結局ほとんど使わずに来ています。

アリーナを私がプレイする場合、遠距離でちくちくするか近距離か中距離で勝負を仕掛けるかのどちらかになりがちです。遠距離戦ではブーストしても敵に隠れられれば終わりですし、一方で近距離か中距離戦ではブーストする余裕がありません。突撃する直前にブーストすればいいのかもしれませんが、すぐ存在を忘れるんですよね。

そんな感じで、ブーストはなしでランページを担いでいます。スピットファイアが消えた時はどう生きていけばいいのかわからなくなりましたが、これなら大丈夫そうです。ボセックが無事でしたからないとは思いますが、次のシーズンでさっそくランページが消えないことを祈るばかりですね。

原神では、神里に合う片手剣があると聞いて今更ながら紀行に手を出しました。結果から言うのなら、手持ちの恒常☆5片手剣や稲妻での世界任務をこなすことで手に入る鋳造片手剣でもよかったことが後に判明しました。もっとよく調べてから行動すべきだったと後悔しています。いつもそうですけど。

デイリー任務に加えて毎日鉱石を掘りに行くようにしたり、ほったらかしだったウィークリー任務を意識するようにしたところ、結構いいところまで行けました。友人に頼んで周遊壺から買い物させてもらったり、報酬も得られないのにトワリンを3回殴ったりを心がけたおかげかもしれません。

で、結局最後は石を使ってレベルをいくつか買うはめにはなりましたが、それでも当初の目標だった紀行レベル30には到達しました。レベル30の報酬が紀行武器選択入手権なのです。8月の後半はほとんどプレイできなかったことを考慮すれば、観光客にしては上出来といったところではないでしょうか。

ところが、この段階でさえ到達したのは8月の後半です。到達できる見込みになったあたりで紀行を購入しようとしましたが、ここに落とし穴があったのでした。

ご存知の通り、私はPS4で原神を始めました。近年ではPS版とPCもしくはモバイル版との間にクロスプラットフォームが実装され、これよおかげで25番房からでもテイワットに接続できていたのですが、このクロスプラットフォームはまだまだ不十分なものでした。

足りない点はいくつもありますが、今回関係してくるのは「課金はそのデータを始めたプラットフォームからでないと不可」という制約です。つまり、PS4からでないと紀行が買えないのです。

紀行は8月が終わるのを待たずして終了してしまいますから、最短で帰宅しても買えません。かといって教習所にログインできるPS4などあるはずもありません。選択肢はただひとつ。妹に頼む他ないのです。

さすがは私の妹といったところでしょうか、特に手間取ることもなく依頼を完了してくれました。この礼として、妹の土産物は少し多めにしておきました。

こうして神里の武器は手に入りましたが、結局使うのは相変わらずのエウルアです。どんな相手だろうと物理で殴り抜けるという、元素主体のゲームシステムに真っ向から反旗を翻すその在り方にはとても助けられています。

そういえば先月は金リンゴ群島のことを軽く書いたに留まって書き忘れましたが、そういえば稲妻の実装は7月の末でした。神里もそういえばそうです。まぁ、実装から少し経つまで稲妻には行かなかったのですが。

まったく新しい世界の冒険は久しぶりです。稲妻特有の敵も強敵が多く、『7人目のスタンド使い』を思い出します。あれも新しい場所では雑魚戦すら全力で戦わなければなりませんでした。カイロに近づく終盤は特にそうでしたね。

稲妻突入後にストーリーはすぐ終わらせました。その過程で神里と宵宮のストーリーもプレイした気がします。最後の方の祭りに行くところと花火を眺めるところはよかったですね。

神里家に行く際にはすでに神里が加入しているという奇妙な状況でもありました。ところで、「この謁見時、神里の着物が室内に掛けられており、つまり屏風の後ろにいる神里本体は着物を着ていない」という鋭い考察をTwitterで見かけ、感服しました。夏イベ以降音沙汰がありませんが、誰かの新しいスキンはいつ出るんでしょうか。

少しして神櫻大祓も攻略しました。面倒なところもありましたが、最後の場所へと突入していくシーンは荒々しくも綺麗な大穴が印象的でした。荒れ狂う雷と浮遊する岩はかっこいいですね。

この神櫻大祓をはじめ、稲妻にはクリアすることで武器の設計図が報酬として手に入る任務もありました。稲妻以外で手に入るものがどうだったかは忘れましたが、稲妻で手に入るものは設計図であり設計図ではなかったのです。

入手した設計図は使用すれば確かにレシピを覚えることができます。しかし、それらのアイテムは単なる設計図ではなく、イベントのストーリーをクリアした思い出の品でもあったのです。当然、「使用」すれば消費され消えてしまいます。ここはどうにかして欲しかったところでした。

今回の原神写真部はこちらです。少なめなのが否めませんが、半月プレイしていないのでこんなものでしょう。

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当然は当然ですが、その国のキャラで撮るのはいいものです。神里と一緒に写っているのは新しい仙霊です。全色揃えられるようであって欲しいのですが、トレジャーハントイベが1回開催されるごとに1種類増えていくのでは永遠に無理そうです。
2枚目のは何らかの任務で遭遇したNPCだったと思います。こいつは確か穴の底にいましたが、風の翼もないような奴がどうして来られたんですかって場所にいるNPCって多いですよね。フードがお気に入りです。
3枚目は稲妻城の頂上です。簡単には登れないところですが、神の瞳も置かれているのでいずれは行かなくてはならない場所です。2回目はやりたくないというのが正直なところです。

4枚目はおそらく宵宮のストーリーでしょう。宵宮も欲しかったのですが、結局出ませんでした。戦う花火師というところでコンパスを連想してしまうのが残念ではありましたが、ストーリーを読むといい子じゃんとなりますね。ボイスも賑やかそうで、復刻時は余裕があれば狙いたいところです。

 

 

<サイゲ>

もはや何をした記憶もありません。去年の今頃、後にこうなっているとは思いもしませんでした。神バハはまだしも、グラブルはどうしてこうなってしまったのでしょうか。過去の生存報告を読み返せばいつまでまだまともにプレイしていたかはわかるのでしょうが、読み返す気力もないのです。

*1:N-131の真似のつもり

*2:詳しくは名作ADV『シロナガス島への帰還』で

*3:何歳なんですか?

*4:だから何歳なんですか?

*5:そうなんですか?

*6:甘いのが苦手とかではなく、入れるものたちの量を考えたり店員に頼んだりするのが面倒でしなくなった結果、必然的にブラックでばかり飲むようになったのです

*7:延泊となった場合でもこの25番房は引き払わなくてはなりませんでした

*8:よく某鯖と呼称されるのでここでもそう呼称することにします

*9:メインディッシュとしてカウントされないとか

*10:正式名称不明

*11:最後のひとりは生かしておくのを忘れずに