ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

[2021] 番外中間報告: 25番房記録(後編)

免許合宿に来た。予定日程は2週間で、前半の試験に合格すれば仮免許を付与されて後半に進むことができ、後半の試験に合格すれば帰ることができる。その後、自宅付近で学科試験に通ればいよいよ免許が交付されるという仕組みだ。前編では最初の1週間で仮免許を取得するまでが描かれたが、次の1週間を記録した本稿は後編となっている。前編を読まずに後編を読むのもまた一興だろう。どうせ物語性などないのだ。

 

 

8/24

中間試験から一夜開けた。今日は2限からなのでゆっくり起きるつもりでいたが、目が覚めたのは6時前だ。すっかり真人間に魔改造されてしまったらしいことを痛感する。

今日は学科×4に技能×3と長丁場だ。今日こそ昨日飲み損ねた魔剤を飲もうと思っていたが、また飲み忘れたことに気が付いたのは最初の教習の直前だった。

学科教習では高速道路の走り方を学んだ。これまでとは段違いの速度で走ることになるという。昨日のバイパスの上位互換がすでに現れつつあるのだ。速度が速ければ事故も悲惨なものとなる。よりによって教習中の死亡事故例を紹介された。しかも、その事故において教習生に非はなく、居眠り運転のトラックが突っ込んできたことによるものらしい。こんなものどうしようもないではないか。

こんな事故の話を聞いてできれば高速道路には行きたくないなと思った矢先、いずれ高速教習に行くことになると宣告された。どうしてこの流れで楽しみにできると思ったのだろうか。また、追加でその教官自身が同乗の教習生によって事故に遭いかけた経験も紹介された。やはり行きたくない。

午前の教習が終わると、昼休み明けにすぐさま路上技能教習が入っていた。入っていたのだが、昼前にひとつ空きコマがあったためそのコマに突入するや否や昼食を摂りその後すぐさま寝るというスケジュールが提案され、全会一致で採択された。技能教習開始は13:50。念のためにアラームを複数仕込んでベッドに入ると、我々の意識は薄れていった。とはいえ、きちんとアラームがかけてある。しかもふたりいるのでどちらかが起きられればどうにかなる。これで安心だ。

私が彼方からのアラームに起こされると、時刻は13:43だった。アラームをかけたはずのボルボックスはすやすやと寝ている。もしかして時計が間違っているのか?

もちろんそんなことはなく、ボルボックスを2段ベッドの上から蹴り起こし慌てて準備をしていると放送で我々の囚人番号が呼ばれた。間に合うかどうか、かなり危ういところだ。

まだなんとかなるかもしれない。配車端末に急ぐ我々だったが、ロビーに入ったあたりでボルボックスがその動きを止めた。なんと、教習手帳を房に忘れてきたという。私は自分の鍵を投げ渡し、彼を送り返した。結局、私は配車手続きを無事に終えて割り当ての車で教官を待つ余裕もあったが、そうして待っている間にも再び放送で囚人番号と名前が呼ばれた。それも、今回はボルボックスだけだ。安否を確かめないままに授業が始まったので確認はできなかったが、彼はなんとか生きていたことが後で判明した。感謝してもらいたいところだ。後期の始まりとしてはかなり不安になる1日だった。

 

 

8/25

朝の学科教習は少し毛色が違っていた。実はここに来た2日目にOD式適性検査というものを受けていたのだが、やっとその結果の解説が行われたのである。

質問に答えていくと運転適性度が5-1、安全運転度がA-Eで算出される。それぞれ5とAに近いほど高いらしい。私は5Bだった。ボルボックスは3Cだったらしい。

教官によれば、ボルボックスのような3Cが無事故にも常習犯にもなりやすいらしい。平凡な一般人は大変だ。いっそ適性度1や2の者は追加講習が必要にすればいいと思う。どうせ陽キャの連中ばかりだろうから。

なお、運転適性度や安全運転度だけでなく性格分析もされる仕組みになっていたが、私のステータスは神経質以外高ステータスだった。注意力や綿密性、情緒不安定性すらだ。ここに来てから鍵を忘れ、シャンプーを忘れ、ボディーソープを忘れ、シャンプーで体を洗った者ですらこのようにステータスが表示されるのだ。信用性皆無であることがよくわかる。

近頃、ボルボックスは再びFGOの石集めに奔走している。なぜかPretenderを流しながらプリテンダー・オベロンではなくバーサーカー・モルガンのピックアップを引いた(しかも引き当てた)後、今度こそオベロンを引くべく最後の準備を整えているのだ。昼頃のピックアップ終了までにどうにか引けていたようで、それはそれでよかったのだろうが、まもなく彼はその代償を支払うことになる。

教室には2人用の机と椅子が並んでおり、現在では真ん中にアクリル板が据え付けられて片側のみ使用可能となっているが、人数が多くて座席が足りない場合はその限りではなかった。アクリル板がきちんと付いている机のみ、両方ともの席を使うことが許可されたのである。

私が少し遅めに教室へ入ると、もう席はすべて埋まっていた。ちょうど今述べた状況に該当する。先に来ているはずのボルボックスを探すと、運よく隣には誰もいない席に座っているのを見つけた。これ幸いと隣に滑り込む。

そうして教習が始まったが、始まって数分でボルボックスの目蓋は落ちた。そっと足を叩いて起こしても、すぐに元通りだ。このような状態なら私にも覚えがある。この授業中、10分続けて起きていることも困難かもしれない。

案の定、この状況はほぼ教習が終わるまでの50分間に渡って続くこととなる。私は体勢を切り替え、右手はペンを持って机の上に置きそしらぬ顔で授業を受ける一方、左手にもまたペンを持って机の下にスタンバイさせ、ボルボックスの膝をいつでもつっつけるように備えた。そして数分ごとにつっついた。たまに足も踏んだ。

そうしてなんとかボルボックスは途中退出を受けずに済んだのだった。すぐさま延泊になったとは限らないが、貸しがひとつといったところだろう。これで無数にある借りをひとつ返せた。

そんな感じで今日もヘビーな教習が続く。ただ、希望はどんな時でも残っているものだ。今回の場合、それは複数人教習だった。

普段は教官とマンツーマンで行う技能教習だが、いくつかの単元では3人のグループで行うらしい。見知らぬ人と知り合うチャンスだ。この機会を逃したくはない。

最初にやってきたのは停車の課題だった。卒業試験でも必ず出る課題らしい。教習で停車してはいけない場所は学んであるが、実際にするのは初めてだ。

期待に胸を膨らませ割り当ての号車に向かう。今回の仲間は誰だろうか。すると、お隣さんの片方らしき人物がいるのが目に入った。他には誰もいない。結局、他には誰も来ないまま教官がやってきた。なんと、このグループにはふたりしかいないというのだ。

まったく見知らぬ人(できれば女)ふたりとなかよくなれる絶好の機会だと思っていた私はひどく嘆き悲しんだ。死んだ眼のまま1番手(といってもふたりしかいない)の運転する車に揺られる。

私の番がやってきたが、いざ停車する段階になると何もわからない。停車してもいい場所がどこかを瞬時に判別して停車シークエンスに入らなくてはならないのに、場所の判別ができない。どこも駄目そうに思えてきて停まれないのだ。

実は案外停まれるのだということを教官に教えられてえいやと停まってみたはいいものの、未発見の停車禁止区域突入直前だったことが判明した。卒業試験への見通しは暗い。

 

 

8/26

またもや朝早くに目が覚めた。日記を書きながら寝落ちしていたらしい。興が乗り、陽光を取り入れて清々しい朝を陰気な25番房にもたらそうとしたが、カーテンを10cm開けたところで想定以上に強烈な光の直撃を目に喰らい、すぐさま閉じた。最近ではずっとカーテンを閉め切っている。日中はだいたい教室棟か自動車の中におり、房にいても大抵は寝ているからだ。久しぶりに差し込んだ日光はものの2秒で消えていった。

今日は1限からある上に2限を飛ばして3限から10限まで連戦となる。応急救護教習というイレギュラーな教習がやってきたからだ。なんなら2限に後期テストを受けることも可能だ。結局受けた。

この日最初の学科教習で、我々は恐ろしき光景を目にすることとなる。2週目にして初めて、教習中に途中退出させられる者が出たのである。突っ伏して寝ていた者が、教官によって半ば無理矢理退出させられていった。二輪教習生だからかさほど同情する気にはならなかったが。

応急救護教習は3時限連続で行われる。最初はいつも通りビデオと教本を交えて知識を蓄え、その後実技に入る。テストもあり、年にひとりかふたりは落ちているらしい。なんらかの理由で応急救護教習を落とすと、最初から受け直さなくてはならない。注意して臨まなくては。

学科は問題なく終わり、いよいよ実技に入る。この時のメンバーは女が3人と男が7人だった。まず女3人が組まされ、残り7人は3-2-2にわかれろという。中間試験の日に知り合った教皇(本名からの連想)もいたが、教皇はすでに3人で固まっていた。ただし、3人で固まっていたのは残りも同じだ。かわいそうなことに、誰かひとりが私と組まなくてはならない。去年の大学での卓球と何も変わらない。私は悠然と相手を待つのみである。

テストの内容は負傷者への応急救護だった。意識確認→救援要請→呼吸確認→心臓圧迫→人工呼吸→心臓圧迫→人工呼吸という流れだ。本来は心臓圧迫と人工呼吸を救急車の到着まで繰り返すらしい。

私は圧迫位置を多少修正された程度で練習を終え、その後のテスト本番でも問題なく合格した。テストは1度にふたりが課題を行う形式で進み、多少のミス(手順をひとつ飛ばす、心臓圧迫の力が弱いなど)があった者もいたが、やり直せばすぐにできたので順調に最後の者の出番まで辿り着いた。

ところが、片方の女が初手でつまずいてその後もなかなかうまくいかない。救援要請をどうしても抜かしてしまうようだ。見るに見かねたのか、教官が手順を書いた紙をそっと見せていた。この頃、もう片方の男は2回目の心臓圧迫に達しており、まもなく終えた。

しかし、その男が課題を終えても女は未だにクリアできない。何度やり直してもなんらかの手順がすっぽ抜ける。あわや落第とも思われたが、教官が最初はそっと見せる程度だった手順書を最後には「存分に見て覚えられたと思ったら始めてね」くらいじっくり見せていた。

結局はこの女もどうにか合格したが、これでよかったのだろうか。もしかしたら、レビューにあった「男女で対応が違う」というのはこのことを示していたのかもしれない。

その後は再びの複数人教習だ。経路策定の学科教習を受けた後、地図を見て事前に経路を考えて目印を覚え、その通りに走ってみるという手順の技能教習をいつも通りのマンツーマンで行う。その後、同じ内容を3人グループで行うというのだ。どうやら、教官によってはひとりがハンドルを握る間、他の者に後部座席からガイドさせるというやり方をとるらしい。他人と合法的に話せる機会だ。前回が散々だった分、期待が高まる。

予定調和という感じだが、やはりこの期待は裏切られることとなる。車にいたのはふたりともお隣さんだった。車に乗り込んだ私の眼はまたもや死んでいる。

しかも、この教官は後部座席にガイドをさせるタイプではなかった。これでは、さっきのソロ教習がライト版になったのと変わらない。他人のいる意味がほとんどないのだ。

それでも、3番手の私は死んだ眼で運転して(最初の角を右折すべきなのに思いっきり左折しかけつつも)最後の交差点まで辿り着いた。ここを左折すれば目的地で、苦手な停車の練習機会でもある。そう思った矢先、「ここを曲がれば目的地で合ってるんだけど、時間ないから直進して学校戻って」と指示された。得たものがほとんどない。

その後の通常路上教習で顔馴染みの教官にこのことを話したところ、「この教官が若いから後部座席からのガイドをさせなかったのかもしれないね」と言われた。とことん運が悪いらしい。

 

 

8/27

昨日とは打って変わって、1限がないどころか午前中は完全に暇だ。ボルボックスも1限がないのは同じだった。そこでふたりとも目覚ましをかけることなく寝たのだったが、今日も自然に覚醒した。

カーテンを閉めたままだと外の明るさは判別し難いが、だからといって安易に開けては昨日の二の舞だ。そっと部屋を出て、窓のある喫煙室に向かう。

時刻は5時頃だった。窓の外はまさに早朝といった感じの明るさで、どことなく健康さや真人間さを感じる。すっかりそれに飲み込まれる前になんとか我に返り、黎明から逃れるようにベッドに入り込んだ。危うく早寝早起きもいいものだと思ってしまうところだった。

そうして寝入り、今度こそ大丈夫だろうと起きたところで時計を確認すると、まだ6時だった。どうしようもなく本能の奥底を捻じ曲げられてしまったらしい。

午前中は、私だけひとつも教習が入っていなかった。それをいいことに自分とは無関係の中間技能試験結果発表を(正確にはそれを見る受験者たちを)見に行こうと考えロビーへ向かう。すると、そこには教皇がいた。

どうやら、教皇は知り合いと共に近くの城までレンタサイクルで観光に行くらしい。どうせ暇なのだからとその話に乗り、早速自転車を借りた。

ところがその自転車が曲者で、空気圧はいまいちだし蜘蛛の巣すら張られている有様だ。空気入れの作業により、出発する前からすでに汗をかいた。蜘蛛の巣は取らないでおいた。自転車置き場に家主かもしれない蜘蛛がいたからだ。

ここに来る前は、歩道を走る自転車に対し車道を走ったらどうなんだと思っていた。ところが路上教習に行くようになった今では、歩道を走っていて欲しいと思っている。だんだんどちらを走るべきかわからなくなってくる。暑い中そんなジレンマに悩まされつつのどかな道を走ること15分。目的地に到着した。

着いたはいいが、どうやら現在時刻ではほとんどの施設がまだ閉じているようだった。空いているらしいステンドグラスの美術館に入ると、今はここともうひとつの美術館しか開いておらず、城の中や茶室は緊急事態宣言により休止中であることがわかった。城を閉じたところで感染推移にどう影響があるというのか?

最初の美術館にあったステンドグラスももうひとつの美術館にあった茶器やら花器もなかなか楽しめた。同行の者たちも同じらしい。帰りがけに城の写真を撮り、学校へと帰った。

午後はまたもやイレギュラーな教習の連戦だ。今回はなんらかのシミュレーターを使った教習、危険予測教習が2コマ、そして普通の路上教習となっている。

今度こそはと配車券を取得し、シミュレーターのある場所に向かった。ところが、そこで配車券を確認すると内容欄にはシミュレーターと記載されていない。「確認」とある。

近くにいた女たちに聞いたところ、シミュレーターの数が足りないせいで一部の者がシミュレーターを使えなくなっているらしいことが判明した。礼を言い、急いでかつ祈るような思いで割り当ての車両に向かう。

結果、そこにいたのはさっき観光に同行した教皇の知り合いで、さらに他には誰もいなかった。最悪のシナリオが再演されようとしているのだ。

何がどうなっているのやらまったくわからないままの我々を乗せて、車は発進した。ハンドルを握る教員は「気楽に見ててね」と言うが、未知の大洪水の中で気楽になどできるはずがない。シミュレーターはどこへ行ったのか?今は何の時間なのか?何を見ていればいいのか?そして、なぜ私は野郎としか組まされず2度も2人グループになったのか?それらすべての疑問が疑問のまま、そのコマは終わった。

次のコマでは、さっき教員が走った道とだいたい同じあたりを我々ふたりが分担して走った。ドライブレコードで録画されるらしいから、うかつな運転はできない。一層気を引き締める。

次のコマは、シミュレーター室と同じ棟でのディスカッションらしい。現地へ行くと、私と同じグループの男以外に男がひとりと女がふたりいた。どう見ても彼らはひとつのグループだ。しかもきっとシミュレーターを使ったに違いない。どこでこの差が生まれたというのだろうか?思わず普段の行いを省みたが、これほどまでの仕打ちを受けるような悪行は身に覚えがない。

ディスカッションは、互いの運転の記録映像を鑑賞してそれぞれがよい点や直した方がいい点を書き出して交換するというものだった。ふたりでやったところで、いいことなど何もない。3人でやるからこそいいものだったはずだ。シミュレーターも使えず、既知と組むこととなり、しかもふたりしかいなかった。やり場のないつらさが込み上げる。

このつらさは、明日の分の配車表を見たことで最高潮の盛り上がりを見せた。明日高速教習があることは聞いていたが、よりによって1限からだったのである。

夜には山道での教習があった。よりによって最終時限で、道は真っ暗だ。ゆっくり山道を登っていくと、ガードレールに小さな鳥居が結び付けてあるのが目に入った。教官によればおまじないの一種らしいが、夜に見ても怖いだけだ。

山頂にはトンネルがあった。山道と違い照明があったので十分に明るかったが、それでも雰囲気はあるものだ。もし免許を無事取得しかつ運転するようになったとしても、やはり夜のトンネルには行きたくない。

帰り道では大きくねじ曲げられたガードレールと金網の跡を目にした。穴を塞ぐ処置はなされておらず、このまま突っ込めばたやすく麓(もしくは黄泉)までショートカットできそうだった。もしかしてこれも安全運転を促す抑止力とするために偶然を装って見せつけられたのだろうか。一定の効果はあったと認めざるを得ないが、夜の山道が楽しかったのは確かだった。この日唯一のまともな記憶だ。

 

 

 

8/28

高速教習の日がやってきた。もはや自然に早朝起床を成し、配車券を発券する。念のためにTwitterに遺言状を遺した。同じ時限に高速教習が入っているのは女が5人に男が13人であると確認済みだ。どうなることやら。

果たして、車にいたのはお隣さんの片割れとドル札だった。ドル札との出会いは初日まで遡る。新幹線の駅に着きボルボックスを待っていた私に、学校行きのバス停はどこか聞いてきたのだ。それ以降接点はほとんどなかったが、ドル札かフリーメイソンのような眼の意匠がプリントされているシャツ姿をたびたび見かけていた。

また死んだ眼になりかけたが、今回ばかりはそうもいかない。我々がこれから突入するのは恐ろしき高速道路だ。怯えることなくきちんと加速できるだろうか。

とか思っていたが、加速した状態での無理のない突入もきちんとできた。道が空いていたからだ。また、道が空いていたせいか身構えていた高速道路は案外あっけなく終わった。首都高ではこうもいかないだろう。

これまでとは比較にならない速度の世界はさぞ刺激的だろうとも思ったが、景色は味気ないし停まることも曲がることもなくただほぼまっすぐな道を走り続けるだけだしでさして刺激的なものでもなかった。

考えてみれば、林間学校や合宿の際に高速道路をバスで走ったことはあるが、景色を楽しめたことなどほとんどなかった。運転者になれば、その味気ない景色から情報を得続けなくてはならないのだ。オートパイロットの開発が望まれる。

この高速教習は2時限連続で行われるが、その間に休憩は挟まれない。他の場所ならサービスエリアで休憩してソフトクリームを食べたりもできるそうだが、なぜか静岡では禁じられているらしい。他のふたりがそれぞれ運転した後、車は学校に帰ってきた。

ちなみに、その道中で自衛隊のトラックと遭遇した。他だと逆走老人に遭遇した号車もあったらしい。高速道路はやはり何が起こるかわからない領域だ。

夕方になって更新された配車表を確認したところ、ボルボックスは4限、私は8限にそれぞれ1コマのみあると表示されている。どうせなら月曜日にまとめてくれた方がよかったと思うが、なってしまったものは仕方がない。むしろ、問題は別のところにあった。

ボルボックスの技能教習が入っている4限を見ると、他にも何人かが同じように4限の技能教習を割り振られている。名前にも見覚えがあるから、その内のいくらかはおそらく同期だろう。ところが、8限は見渡す限り私しか路上教習がいない。ひとつ後の中間試験に合格した者たちも路上教習に移っている頃だが、それにしてもひとりぼっちだ。もしかして、明日は私の車だけ寂しく外に出て走ることになるのか?

ドンキに行き、いつも通り水と魔剤を補給した。さらに、早くに起きなくていい明日を祝うべく菓子を買って宴に備えた。内訳はおさつチップスとピザポテト、おっとっと(うすしお味・ポケモン仕様)だ。また、駄菓子コーナーで抹茶シガレットなるものを発見し、試しに購入した。初見の製品だ。

さらに追加で購入したカップ麺の完成と共に宴が始まる。ずいぶんと久しぶりのポテトチップスはやはりおいしい。カップ麺も普段は食べないが悪くないと思った。酒もないのに錯乱したのか、ボルボックスが抹茶シガレットを開け、なぜかライターを取り出して咥えた先端を炙った。

私が以前ココアシガレットの10パックセットが300円代で買えることの素晴らしさを説いて聞かせた際、ボルボックスは「結局砂糖の塊だからそんなに好きじゃない」と言っていた。そのボルボックスが抹茶シガレットを炙っているのだ。案の定、先端は焦げてカラメルのようになっている。老化が進行しているのは彼にとっても同じだったのかもしれない。

 

 

8/29

朝から何も起こらない。寝過ごしなど考えずに寝て、寝過ぎたかなと起きてみてもまだ6時だ。朝食後にまた寝ても暇な時間が恐ろしいほど残っている。ボルボックスはその間ずっとレジェンズに励んでいた。朝から元気な奴だ。

誰かいるかと教室棟に出向く。ロビーはいつもより閑散としていて、知り合いの姿は見当たらない。中間試験の結果発表に混ざろうにも、今日は日曜日なので試験はないことを思い出した。

おそらく、あんなにいた同期の者たちは①何も用がないのでここへは来ることなく自由に過ごしている、②1コマだけ割り当てられた4限に今ちょうど取り組んでいるかのどちらかなのだろう。願わくば教皇やKの連絡先を剥ぎ取りたかったところだった。明日もこうならないことを切に祈る。

話せる者は誰もおらず、PCもなく、昼寝も今ではCT待ちだ。もはやペーパーテストしかすることがなかった。前期ではPCのテストに2回合格することが中間学科試験の受験資格であり、それに合格後受けられるペーパーテストは必修ではないものの、本番で合格するには極めて効果的であるとされるものだった(逆にPCテストを受けただけでは難しいらしい)。

ペーパーテストの成績は9割近辺で安定しており、合格するようにもなってきた。だが、どうせ別の免許を取らないと乗れない自動二輪車の選び方や乗り方まで問われるのが気に食わない。これがなければもう少し点があがっていてもおかしくないはずだ。

この日は技能教習もおとなしいものだった。せいぜい右折が慎重過ぎるとアドバイスされた程度で、もう特別なことは何もない。これで卒業試験に合格できるのかは疑問だが、何か問題点があればさすがに指摘してくるだろう。それなりに運転できていると考えることにする。

「そういえば、配車表だとこの時限に路上に出るのは私たちだけだったんですけど」

「さすがにそんなことはないよ」

「ですよねぇ」

「うん、もう1台いたはず」

 

 

8/30

今日はみきわめと呼称される試験の受験許可のようなものが交付される技能教習がひとつあるのみだった。いわば前哨戦だ。

これが最後の技能教習となる。もうすっかりおなじみになった教官と共にいつも通りの道を走る。それだけで前哨戦は終わった。特に大きなミスは犯さなかったが、明日もこううまくいく気はしない。この教官に延泊の報告をしたくはないものだ。

試験前夜がやってきた。我々は試験前夜だからという安直な考えで近隣にあるさわやかというハンバーグ屋に向かう。かなりおいしいのに店が静岡にしかないらしく、友人のひとりはこのためにわざわざ東京から来たことがあるまでだという。

店内にはちらほらと他の教習生らしき者どもがいた。安直に生きているのは我々だけではないらしい。顔馴染みの教官から教えられたげんこつハンバーグをオニオンソースで注文する。

いよいよハンバーグがやってきた。目の前で両断され断面を焼かれるパフォーマンスを我々はシールドの後ろから見守った。弾ける肉汁やソースを防ぐための紙製シールドが事前に渡されていたのだ。

ハンバーグを切ってみると、中は思っていたよりも赤い。それを鉄板の残熱で焼いて食べていたが、後半は鉄板が冷めたこともありそのまま食べていた。肉を喰らっている感じがしていいものだ。そういえば、「肉汁たっぷりに焼き上げますがよろしいですか?」とも聞かれていた。せめてこの焼き方だけでも流行って欲しい。

我々が頼んだのはセットメニューだったため、パンもついてきた。テーブルに届いて驚いたが、これはおそらくライ麦パンというものだろう。しかも、添えられているバターはバターだった。マーガリンではない。バターを塗ったパンがまずいはずはない。「パンはバターを食べるための口実に過ぎない」という言葉があったが、このパンは美味しかった。

まだ門限まで時間があったため、デザートとしてかき氷を注文した。静岡だからとまた安易にも抹茶味をセレクトしたが、この抹茶がまた濃いもので、こちらにもかなり満足した。

他にはサラダを頼んだのだが、刑務所の食堂では朝昼晩を通して野菜がほとんど出なかった。久しぶりに野菜を食べて草に目覚めたのか、ボルボックスは帰り道のコンビニでサラダを買っていた。結果、明日に備えたライト版の宴はチョレギサラダや砂肝に彩られることとなる。老化の疑いが一段と深まった。

宴こそしたが、試験前夜だからといって特にすることはない。ボルボックスが堅実に部屋を引き払う準備を進める一方、私はピクサーをロッカーに監禁して遊ぶなど思い思いの時を過ごした。

 

 

8/31

とうとう卒業試験当日となった。刑務所で例えるなら仮釈放審議会当日といったところだ。

この日は中間試験と同じく早朝起床を強いられたが、案の定問題なく起きられた。このままだと、日の出と共に起き出す体になってしまうかもしれない。

前日までにだいたいの片付けは終わっていたため、7時の食堂オープンにちょうど間に合うあたりで房の引き払い準備を終えることができた。鍵の返却も済ませ、朝食を摂る。ひそかに心配していた、セロハンテープによるドアの塗装剥げは指摘されなかった。少なくとも今は。

かなりの余裕と共に、割り当てられた教室で試験の時を待つ。最も左、壁側の列には二輪車教習生が座っていたが、どれも皆あまり私とは波長が合いそうにないように見える。この14日間で見かけた二輪車教習生の誰も彼もが考えてみればそうだったが。

しばらくして教官が入ってきて、試験の説明が始まった。細かな差はあれど、注意点としては中間試験とそう変わらない。即死条件も健在だ。

この時点で私の胸裏にあるのは言うまでもなく試験への不安や緊張ともうひとつ、同乗者の面々である。しかし、やはりというかなぜかというべきか、またもや男とデュオだった。

受験生は6人ずつの列にわけられており、その6人が同じ号車で試験に臨むこととなる。前半と後半のグループがそれぞれ3人ずつという訳だ。ところが、私の列は5人しかいなかった。私の受験番号は最序盤でも最終盤でもない。どちらかといえば序盤よりの中盤だ。にもかかわらず、8程度あった列の内2列しかない5人列だったのである。結局、ここのシステムとは終始わかりあえなかった。

5人で担当の第43号車に向かう。互いに不安を語り合っていると、しばらくして教官がやってきた。私とシーザーは前半の3人が帰ってきてからの受験となるため、書類を提出するのみでロビーに戻った。この緊張状態にあと1時間近く置かれたままになるのだ。しかも私は2番手だからさらに待たなくてはならない。

前半の者たちを見送ると、長い長い1時間が始まった。緊張を紛らわせようとストックしていた魔剤に手を出したが、緊張に影響されている体調をさらに不安定なものとするだけだった。別の列で後半組だったボルボックスと話して時間を潰そうとしても、漫画を読み出していてそれもできない。

ロビーの窓から見える練習場内に43号車が帰ってきた。これから縦列駐車の試験に臨むようだが、3人とも死んだ眼はしていない。いい兆候だ。路上で死んだ者はなかったらしく、きちんと全員が縦列駐車の領域へと向かっていくのが見えた。

彼らが帰還し、いよいよ我々の番がやってきた。教官が席を外したわずかな時間に降りてきた彼らから情報を得る。どうやら意地の悪い教官ではないようだ。先に結果を待つのみとなった彼らが我々を励まし送り出してくれる。私だけ延泊はなんとしてでも避けたい。

教官の運転で見知らぬエリアまで運ばれ、そこから試験開始となる。ところが、走り出してすぐに車が止まった。シーザーがハンドル角度の調整を申し出たのだ。なるほど、ハンドルはなぜか地面と平行に近い角度に設定されていた。その要請は許可され、シーザーがハンドルの角度を設定するのを待って再び車は動き出した。私が1番手でなくてよかった。ハンドル角度の設定方法を思い出せなかったからだ。

試験は順調に進み、傍目には問題なく終わった。とうとう私の番がやってきてしまったのである。運転席に乗り込み、ミラーの角度や座席の位置を調節する。エンジン点火、ハンドブレーキ解除、ギア操作、ハザードランプ解除、安全確認、覚悟完了といった発進シークエンスを済ませて車を発進させた。

ワクチンやバーベキュー、延泊代など諸々を賭けた走りに臨む43号車のエンジン駆動音は、すぐさま耳障りなアラートに取って代わられた。計器を見ると、いまいちわかりにくい赤色のマークが光っている。シートベルトを締め忘れたのだ。

まさか仮免許持ちのくせにシートベルトの締め忘れという初歩的なミスをするとは思わなかった。すぐさま停車し、シートベルトを装着して再発進したが、気分はすでにお通夜だ。

どうせ無駄なんでしょうという気分のまま43号車を走らせる。巻き込み確認や右左折のタイミング、停車手順などに落ち度はなかったと思うが、初手の初手でやらかしている以上不安は消えない。それでもなんとか試験中止宣言を受けることなく課題を完了させた。

練習場まで戻り、今度は縦列駐車の試験が始まる。シーザーも私も接触や脱輪を起こすことなくクリアできた。操作の転換点を記した本質メモ(おそらく全員に与えられている)のおかげだ。

私が縦列駐車領域を抜けて駐車エリアに43号車を走らせる間、教官からアドバイスがあった。シーザーはもう少し座席を後ろにずらしてもいいらしく、私はブレーキのかけ始めが遅いため停止時に揺れが発生していると指摘された。私が気になったことはないが、そういった細かなことが腰や背骨への負担として蓄積されるのかもしれない。老化が進む身としては無視できない忠告だ。

ロビーに戻ると、43号車の面々とボルボックスがいた。ちなみに、43号車には受験番号19-23が乗車していた。19がK、20がお隣さんの片割れ、21が静岡のハリー(大学のハリーと同じような髪の配色をしていたのだ)、22がシーザー、そして23が私だ。ボルボックスはこの輪にしれっと紛れ込んでいたので忘れていたが40だった。

初手でシートベルトを締め忘れた話と共にその輪に加わり、とりとめのない話をして結果発表までの時を過ごそうとしたが、どうしたって話題は試験の結果に戻ってくる。初手のミスに落ち込む私を皆が励ましてくれた。いい仲間に恵まれた。

合格発表を知らせる放送が入り(その前に無関係の放送が入り我々は神経を擦り減らした)、モニターの前に人だかりができる。19-23と我々は固まっているが、その分誰が落ちたか一目瞭然だ。どうにか19-23の誰も欠けないでいて欲しい。特に23が。

全員が見守る中、とうとう画面が切り替わった。期待と不安を込めて目の焦点を合わせると、19がある。20がある。21もある。22だってある。そして、23もあった。あと40もあった。見間違いではない。仮釈放審査委員会はAPPROVEDの赤いスタンプを押したのである。

合格者は13時に卒業式を行うらしい。Kやシーザー、教皇を誘って再びさわやかに行くことにした。教皇の友人が脱輪により落ちてしまったらしく、彼を励ます会でもあったのだが、いつの間にか呼んでもいない見知らぬ陽キャが紛れ込んでいた。おまえは何者だ?

総勢9人となってしまった我々だったが、そんなに大きな席があるはずもないので3グループにわかれることとなり、結局私とボルボックスのみで1グループを構成する結果となった。これでは昨日とほとんど変わらない。

互いが生き延びたことを讃えハンバーグを食べ始めたが、実は時間が怪しいことに気付いた。ゆっくり食べていては13時の卒業式に間に合わないかもしれない。さわやかを提案したのは私だ。9人の運命をねじ曲げてしまったかもしれないことへの罪悪感をかすかに覚えた。なお、陽キャとその知り合いの女ふたりへの罪悪感は長続きしなかった。その一方で、ライ麦パンを急いで食べた際に舌を強く噛んだ痛みと傷は長続きすることとなり、東京に帰ってからもしばらくは悩まされた。

どうにか全員が食べ終え、卒業式にも間に合った。机には卒業証明書や仮免許を含め諸々の書類が置いてあり、それらの詳細や今後の流れが説明された。これらの書類は大事なものらしく、かつてせっかく卒業できたのに駅の券売機横に書類一式を置いてきてしまい、それを取りに舞い戻ってくるはめになった者もあったらしい。私はクリアファイルを1枚持っているきりだったし、それも今はスーツケースの奥底なのでバインダーを都合よく持っていたボルボックスに押し付けた。

また、学科教習で学んだ内容ではあったが、免許取得から1年の間に重大な違反や事故があると少々面倒なことになることも重ねて説明された。運転するのは1年後にした方がいいのかもしれない。

こうして卒業式は終わった(証書授与は人数が多いとの理由で事前に机に置くという形で行われた)が、駅までのバスはここからさらに1時間待たなくてはならないという。ホテル勢は行くあてがないし、我々も房を引き払ってしまった。

またロビーで待つことになるのかと思った矢先、教官のひとりが我々に「特別にバスを出すから荷物を準備して」と告げにきた。もう待たなくてもいいのだ。我々は荷物の集積所へ走り出したが、私はロビーの外で電話をかけておりこのことを知らない静岡のハリーにバスが出ることを伝えてから向かった。ひとりだけ置いていかれるのはつらいはずだ。いいことをした。

おんぼろのシャトルバスが発進する。なんであろうと写真に撮っておきたい(ただしどこかへアップもしないし見返すこともほぼない)年頃なので練習場や教室棟をバスの窓から撮っていると、それを見たボルボックスも写真を撮り始めた。その頃にはバスが公道に半分くらい出ていたからか、頭上に掲げて後ろの窓越しに1枚撮る程度だったようだが、その写真を見せてもらうと写真下部にボルボックスの頭部が映り込んでいた。どんな時も自己主張を欠かさない陽キャらしい写真だといえよう。

バスはあっという間に駅に着き、我々は新幹線の到着までの時を最後に別れの挨拶をしたり土産を買ったりして過ごした。教皇も静岡のハリーもシーザーも私やボルボックスとは反対方面らしい。土産屋で買った静岡のビールを片手に彼らを見送った。ちょうど1年の初心期間が過ぎた頃にでも43号車の面々で集まって飲めれば素敵だと思ったが、静岡のハリーに連絡先交換を申し出損ねたことに気付いた。結局、手に入れたのは野郎の連絡先だけだった。

もっとも、皆それなりにバラバラのところに住んでいるようだったから、集まるのは難しかったろう。彼らが東京に来ることがあれば頼って欲しいものだ。

プラットフォームで我々の新幹線を待っていると、親交はなかった他の合宿生に呼び止められた。先ほど卒業式で受け取った大事な書類が落ちていたらしい。ボルボックスのバインダーだ。

バインダーは回収されており、中の書類ごと無事にボルボックスの手に戻ったが、検証の結果どうやらボルボックスが券売機に置き忘れたらしいことが明らかになった。なお、対照的に私は何も券売機に置き忘れなかった。そもそもチケットを往復で買っていたので券売機を使わなかったからかもしれない。

日記に手を加えたりボルボックスに唆されてモルガンピックアップを回してたり久しぶりのビールを飲んでいる内に車窓から見える景色は山や畑からビル群となり、すっかり都会のものとなってきた。いよいよ帰ってきたのだ。モルガンは東京駅に着いてから引けた。

その後、有楽町まで移動して私の好きな釜飯と焼き鳥の店で夕食とした。駅からそこへの行き帰りの間、ボルボックスは駐車可能なことを示す標識や駐停車禁止区域の標識を見つけて楽しそうにしていた。まったく、これでは小学生とさして変わらない。新しい知識を得た子供はこれだから困る。私も負けじと軽車両通行止めの標識を見つけた。

家の近くまで帰ってくると、道にある自販機が目に入った。これを見るのも久しぶりだ。あれは確か中学受験の頃のこと、塾からの帰り道にここでおしるこを買った記憶がある。

あれから年月が過ぎ、今では成人し、大学に入り、落単し、借金を重ね、運転免許もそろそろ取れそうな身になった。昔を懐かしみつつラインナップを見ると、この14日間ですっかりなかよくなった魔剤が売られている。思えば魔剤にはずいぶんと助けられたものだ。どうにか途中退出されることなく26の学科教習を生き延びたのは魔剤とブラックコーヒーのおかげだろう。

350ml缶が学校の自販機では210円、少し歩いた先のセブンでは208円、さらに歩いた先のドンキでは206円となっていた。そのかすかな価格差と移動距離やそれにかかる労力を天秤にかけていたことももはや懐かしい。たかが数円を節約するためだけに暑い中を歩いたのだった。さて東京ではいくらだろうか、自販機なのだから210円か、それともセブンくらいかしら、さすがにドンキには勝てまいと見てみると、値札には200円とあった。