ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

第11次中間報告

ロシア語のプリントを失くし、再履修の強みを活かして再入手に成功したが、不注意で授業に持ってくるのを忘れた。以上が以前の要約となる。ちなみに、部屋は散らかったままだ。

プリントが手元にないと気づいても打てる手は既になく、授業が始まった。もしかしたら教員がプリントの予備を持っているかもしれない。そんな淡い希望に縋っていると、教員は「先週伝えた通り、今日は中間テストをします」と告げた。

聞いていない。当たり前だが。悪足掻きをしようと手元にあるプリントを見ても、アルファベットが読めないのだから何もわからない。潔くテストに臨んだ。終わった者から帰っていい形式だ。

表紙を開くと、延々と解けない問題が羅列されている。単語や訳はどうしようもないが、中には複数形の問題も含まれていた。ちょうど先週の範囲だ。

英語よりは複雑だが、基本的に単語が読めずとも一定の基準に従って語尾を改変すればいいことに変わりはない。細かい区別はできなくても、英語で例えるならとりあえずsを全部に付けるようなことはできたかもしれない。先週のプリントを忘れたことが尚更悔やまれる。

解けない問題をスキップすると最速クリアになってしまうため、適当な答えを書きつつ進んだ。おそらく全て誤りだろう。去年見た覚えのある単元も今ではさっぱりわからない。この1年で綺麗に抜け落ちたか、元々覚えていなかったかのどちらかだろう。

そうして最後の大問に辿り着いた。他の学生はぼちぼち解き終えている。ここで問われたのは会話の中で使う単語やフレーズだ。「こんにちは」や「さようなら」、「私の名前は」のような日本語が並んでおり、対応するロシア語を書かなくてはならない。

「こんにちは」がずとらーずとゔぃーちぇ、「私の名前は」がみにゃーざぶーとといった感じの発音になることは辛うじて覚えていたが、キリル文字がわからないのでЗдравствуйтеなど書きようがない。

どれか書けるものはないかと考えたところ、ハラショーを思い出した。艦これをプレイしていてよかった。しかも、Хорошоみたいな感じだったとスペルもなんとなく覚えている。読み方がわからなかったのでエックス・オー・ピー・オー・スリー・オーと覚えていたが、書ければ勝ちだ。

結局、正解した可能性が辛うじてでもあるのはХорошоだけだった。それも、正しい訳がわからず「よい」や「ごきげんよう」など複数の回答欄に書く始末だ。さすがにこれはまずい状況だろうと、解き終えてから(もう誰もいなかった)教員に話しかけた。

「これが0点だったら単位は難しいですかね」

「ひとつもわからなかったんですか?」

多少控えめの自己申告だったが、1問の差などたいしたことではないだろう。答案を改めた教員は1ページ目で早くも惨状を察し、見るに耐えなかったのかそっと閉じた後で望むなら来週に再試を受けてもいいと告げた。

再試での失敗は許されない。再試までの間、ロシア語の勉強に励んだ。より正解に言うと再試前日の夜から励んだ。発音は捨て、スペルや訳を覚えることに注力した。これでは受験期の英語と変わらない。日本の語学教育の歪さを再認識する。

授業後、2限が始まる時間に再試は始まった。私と前回欠席したもうひとりに教室の後方で受験するよう言い渡し、教員は前の方で授業を始めた。

授業と言っても、受講生は女がひとりだけだ。もしかすると必修ではないロシア語なのかもしれない。そんなものをわざわざ取るあたり、この女もよほど酔狂なたちなのだろう。

昨夜からの努力が実を結んだのか、前回よりは圧倒的に解ける。怪しい部分もあったが、これなら0点はないはずだ。うまくいけば50点もあり得るかもしれない。驚異的な進歩だ。

問題は、これを期末と後期もできる気がしないことだ。大学に入ってから初めて勉強の必要性を感じた。できれば感じたくなかった。