ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

[2021] 第4次中間報告

恋煩いという言葉がある。意味に関しては推測の域を出ないが、相手に恋焦がれる様子を表したものであると考えられる。常に思考のどこかにその相手のことがあって、気になって仕方がない、だけど今隣にはいない。そんなもどかしい状態を指すのだろう。このような体験をしなくなって既に久しいと思っていたが、最近になってそうでもないのではという疑念が芽生えた。

ある日、妹がおいしそうなケーキの写真を見せてきた。これを買ってくれという。まぁいいだろうと了承すると(どうせ拒否権はないのだ)、妹は言った。

「おまえには無理だよ」

「今は少し金があるんだ。借金を全額返せる程はないけど。利子代わりに買ってやるから値段を言ってみなさい。倍額にならないのなら安いもんだ」

「12000円」

「ちょっと無理かな⋯⋯」

「けっ」

会話の内容の是非はさておき、ここで私に無重力に放り出されたような感覚が訪れた。周囲が突然静かに感じられ、私の意思ではない何かの手によってさっきまでの会話から何かが吸い上げられ、再構成されている音だけが聴こえる。「あぁまた来たか」と私は思う。そしてまもなく、私は発作に襲われる。

この場合は、「Aが何かを買ってやろうとBの欲しがっているものの、値段を聞いて財布を引っ込める」というシチュエーションが吸い出された。そして、「ごめん、無理だったよ」「お兄ちゃん⋯⋯?」のようなテキストが浮かび上がる。妹が私をお兄ちゃんと呼ぶことはないが、これはこの際関係ない。

これが唯一の手掛かりだ。私は似たシチュエーションで出てきたこの文面を知っている。かつてどこかで読んだことがある。多少は違うかもしれないが、少なくとも似たものに触れたことがあるのだけは間違いない。しかし、それがどこだったかは思い出せない。そして、この思い出せないという事実はしばらく私に付きまとう。

この面倒極まりない発作を私は「文煩い」と呼称している。上手いこと言って悦に入ろうという浅はかな思想が透けて見える名称だ。長々と書いたが、要はたちの悪い例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚デジャ・ヴに過ぎない。既視感を感じた文章の出自がどうしても気になるというだけだ。恋煩いに例えれば聞こえはいいが、そのようなロマンチックさは欠片もなく、焦がれる点は同じであってもこちらは急かされる義務感が強い。

解決法は①思い出す、②耐えるのふたつしかない。①を選ぶ場合、文面やシチュエーションを手掛かりにして今まで読んだテキストを思い出すことになる。誰も助けてはくれず、頼りになるのは自分の記憶力だけだ(大抵あてにならない)。人によってはこの過程を楽しむこともできただろうに。

ちなみに、今回の場合はあるライトノベルの文章だったことを思い出し、無事解決をみた。①金欠の兄っぽい存在と妹っぽい存在が出てくる、②コメディ寄り、③小説といったあたりがヒントとなった。だが、思い出せたシーンに登場していたのは主人公とそのクラスメイトの妹だった。こういうことがあるから油断できない。解決してもただ重荷から解放されたような気分しかしない。達成感よりも、やっと終わったという気分が先に来る。その重荷を自ら背負っているのだから、愚かという他にない。

多くの文章を読むにつれて特定は難しくなるだろう。もしかしたら、いずれは自分の書いた文章で発現するかもしれない。そうなれば、記憶力の致命的な欠陥がとうとう証明されてしまう。

ところでさっきから気になっていたのだが、闇の中へと階段を降りるシーンで「それは████へと堕ちていく行為だった」という文章が出てくる作品に心当たりはないだろうか。