ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

[2021] 第2次中間報告

以前、バ先でExcelに指定された文章をタイプして印刷するタスクを見つけた。接客と比べれば得意分野だし(接客と比べればほとんどがそうだ)いい暇つぶしになると私はそれに飛びついたのだが、ちょっとした問題があることが発見された。

問題といっても、そう難しいものではない。難しいものではないといっても、基礎問題ではない。ましてや演習問題や応用問題ではない。正確な文面は忘れたが(よほど忘れたかったのだろう)、ハートマークが入っていたのだ。

LINEスタンプですらめったに送らないのに、ハートはつらすぎる。苦渋の決断を迫られた末に渋々覚悟を決め、玉音放送を聴いたような気分で手をキーボードに伸ばした時、先輩から「もういいよ」と告げられた。見捨てられたのかと思ったが、上司が既に作成していたことが判明したらしい。後には虚空に浮いた覚悟と接客を強いられる時間だけが残された。

このように、私は自分のスタイルから外れた文章を書いたり読んだりするのに多大な苦痛を感じるタイプだ。その証拠に、レポートを書くのがいつまでも苦痛だ。他にどのようなものが苦痛かを考え、思いつく限りのものを列挙したのが以下だ。

 

・志

有言実行の実行よりも有言不実行の不実行を心掛けていたい私は、決意表明や抱負が大嫌いだ。①明言するとやらなくてはならない気がする、②それで失敗すると非難されることがあるからだ。計画を立てるのも大嫌いだ。

 

・寄せ書き

そこまで親しくない相手に書く場合、労う気持ちはあっても具体的な文面は浮かんでこない。結果、うやむやな文章を書くことになる。根が正直なせいか、割り切れないのがつらいところだ。

 

・連続

「学食は昼は混んでいる」のように、同じ接続詞が連続するのが苦手だ。ただ、なぜか「の」ならまだ拒否感は薄い。

また、語尾の連続も同じく苦手な節がある。語尾を変えるべく表現を調整することも少なくない。これまで費やしたその時間で、サクラダ・ファミリアのひとつくらいは完成していただろう。

 

・漢字過多

捲土重来や大英帝国東印度方面艦隊第七次大規模攻勢支援作戦臨時作戦司令部付清掃員補佐見習などは漢字で書くべきだ。すべてひらがなでかくとひじょうによみにくくなることはとうぜんであるといえよう。だが、漢字の過剰使用も又読み難い文章を形作る要件と成り得る。適度に平仮名を混ぜた方が圧倒的に読み易い。書いて居ても、気取った思想家の様で居心地が悪い。

 

・顔文字や記号

ハートもそうだが、使いどころがわからない。使う文化圏に所属してこなかったのだ。使おうと思ってもまずはテンプレの検索から始めねばならず、その時点で断念しがちだ。そういえば、!や?をいちいち絵文字で打つ者は何がしたいんだ?

 

・読点が、多い

読点は、文章を、読みやすく、するための、もので、ある、はずだ。ちょうど、階段の、踊り場と、似ている。だが、踊り場が、多すぎれば、逆に、疲れる。読み手への、敬意に、欠けているとしか、思えない。

 

・句点がある

「文章の終わりを意味する句点は重要度が高い。だが、吹き出しや括弧の最後で使われているのとは相容れない」。「許されるのは木津千里くらいだ。」

ちなみに、SNSにおける投稿の場合も少し気になる。ひとつの投稿自体が大きな不可視の括弧に囲われているように感じるのだ。少なくとも自分から使うことはないだろう。

 

・全角数字

宗教上の理由で全角数字は打ちたくない。単純に読みにくいからだが、住所や郵便番号でこれを強制してくる願書などの入力フォームは万死に値する。

 

・誤っている

カービィ」を「カービー」と書く者とわかりあえる気がしない。「ベイダー」と「ヴェイダー」のような表記ゆれならまだいいが(ただし「ベーダー」は駄目だ)、素直に調べるとかピンク玉呼ばわりするとかなかったのか?

 

本筋からずれたものが混じった気もするが、とりあえずはこのあたりか。ここに書いている分にはまだいいが、社会に出てやっていけるかがまた不安になってきた。こんなつまらない意地は早めに捨てるべきなのだろう。

 

追記: 恥を忍んで句点と読点の取り違えを修正