ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

[2021] 第9次中間報告

ある土曜日のことだ。土曜日はロシア語が1限からあるため、限りなく深夜か明け方に近い早朝頃(この表現については過剰な誇張である可能性が指摘されている)起き出して出かける準備をする必要がある。予備バッテリーやケーブルを鞄に放り込んでから気がついた。ロシア語のプリントが見当たらない。

私は未だにロシア語が読めも書けもしないため、キリル文字の横に日本語の発音を書いておくことでようやく生きている。そのため、使い込んだプリントが消えるという今回の事態は死に直結する。しかも、教員はなぜかポータルサイトに教材をアップしないので再入手も困難だ。

部屋を見渡すと、東では飲み干した(もしくは飲みかけの)ペットボトルが群生地を築き上げ、西ではプリントの山が崩落の危機にあり、南では脱ぎ捨てられた衣類がもはや絨毯と化し、北では少しでも片付けようとして心折られた痕跡が真新しい。この中からロシア語のプリント群を発掘しなくてはならないのだ。

来週までに読まなくてはならないのに存在ごと忘れていた読書課題や今すぐにも取り組むべき長期課題の要件といったプリントは発見されたが、肝心のロシア語は出土しなかった。時間もとっくに遅刻確実なゾーンに突入している。状況は最悪だ。結局、この日は行く気が失せて自主休講した。どうせ受講しても理解できないことを考慮した合理的な判断だ。

今回の事例を引き起こした要因はなんだろうか。再発防止に活かせる何かがあるに違いない。多角的な観点を求めて10人に聞けば、その内9人は「部屋を掃除していないから」と答えるだろう(10人の中に私を含む場合)。

彼らの意見にも一理ある。部屋が整理整頓されていればプリントもすぐ見つかったはず、いや持って帰ってきたプリントをすぐに分類して保管しておけばそもそも探す事態にはならなかったはず、というかどうしておまえはいつもこうなんだ、反省というものを知らないのか、後回しにするのはおまえのためにもならない、そんなだからそもそも単位を落とすのだ、いい加減成人としての自覚を持てこの未熟者と言いたいのだろう。目敏い指摘だ。

部屋を最後に掃除したのがいつかは思い出せない。大掃除をした記憶はないから、少なくとも5ヶ月はこの状態が続いていることになる。しかし、これで致命的な被害を受けた覚えはない。だいたいはなんとかなってきた。慣れてしまえばたいしたことはない。

そう開き直ってサルベージを開始する。たしか、去年のデータはまとめてHDDに格納したはずだ。他の授業のデータと混ざっている可能性もあるが、判別は容易だろう(ファイル名の「授業」を「受業」と書くので)。そこからロシア語の教材を回収すればまだ舞える。しかし、捜索を始めるや否や重大な問題が明らかとなった。HDDの中も散らかっていたのだ。

いつか役に立つだろうと保存して以降存在すら忘れていたデータ、途中で挫折した自作TRPGの残骸、そもそも用途も内容も不明なファイルなどが散乱している。これでは現実の部屋と変わらない。もしかしたら、どちらも掃除をすべきなのか?心に揺らぎを覚えた。

その日は気圧されて捜索中止を宣言し、再挑戦は1週間後に行われた。目覚ましを止めて再度寝るというありふれた事故は起こったが、無理のない出発時刻までに欠席回に該当するデータを入手し印刷した。手に入っただけましだ。また、ポータルに上がっていたデータも追加で印刷した。あって困りはしないだろう。

遅刻することなくキャンパスに着いた。準備を整えるべく、追加印刷分を取り出した。続いて欠席回のプリントを取り出そうとしたところ、どこにも見当たらない。印刷はしても鞄に入れるのを忘れたのだ。

不注意で失くし、部屋とHDDの無秩序で捜索は難航し、果てに再び手に入れたプリントを不注意でまた失った。これからも万事においてこの不注意が邪魔をするのだろう。掃除したところで無駄だとはっきりわかった。芽生えかけた改心の兆しは脆くも砕け散った。