ウルリヒトゥレタス

皐月川納涼床

10年の付き合い

 今、この記事を書いているPCはMacBook Airで、調べたところだと2012年の製品らしい。背面にある林檎のロゴが光るのは昔の製品だけらしく、後輩に教えてもらった。あまりPCに詳しくはないが、RAM4GBで現代を生きていくのは厳しそうだ。

 これを買ったのは中学に入学した頃のことだった。ラジオ部(この名前は過去の残滓でしかなく、現在では専らパソコンを用いたプログラミングやDTMが活動内容である)に入ろうとして、いとこが持っていたからとよく調べもせずに買ったのだが、いきなりMacBookを買ってくる馬鹿がいることはさすがに先輩も予想外だったらしく、Windowsとの違いを丁寧に教えてもらう羽目になった。その後、親に手伝ってもらってWinows7をインストールした。

 結果、Windowsの入ったMacBook爆誕したのである。これは一応公式の機能なのだが、現在ではできないらしいから、ラジオ部でこの機体を使っていたのは後にも先にもおそらく私だけだと思う。語り継ごうにも尊敬しづらいのが惜しいところだ。

 ところが、高校生の頃になると親に取り上げられてしまった。ただ点数が危うい定期試験前夜の朝4時にマインクラフトをプレイしていただけだったのだが、タイミングが悪かった。ある年などは、自分の手元にない期間の方が長かった。戻ってきたと思ったら、突然ブルースクリーンを吐いて動かなくなってしまった。

 しばらくはこのままいたのだが、ある年の合宿を期に修理へ出し、MacBookは生き返った。もちろんデータはすべて死んだので、転生という方が近いのかもしれない。最後の方は才がないことを悟ってあまりまともに作品製作に取り組んでいなかったし、高校2年生の大学祭ではほぼ完全に古本市をメインに活動していたから、あまりMacBookをクリエイティブなことに使っていたとは言えないし、結局のところゲームとネットサーフィンが主な使用手段だった。

 そのことは当然親も知っていた。受験の年にはまた取り上げられたのである。これはもちろん私を受験へ集中させるためだったが、私は白SIM機を購入して抵抗し、親はこれを破壊して応戦した。『ジュラシック・パーク』の「生命は必ず道を見つける」という言葉が思い出される。

 MacBookでさえ、残虐にして野蛮な破壊活動から逃れることは叶わなかった。未知ながら驚異的な捜索能力を持つ妹によって私の手に返っていたが、親が奪い取ってシンクに放り込み、MacBookは数秒の間ながらシャワータイムを楽しんだ。慌てて電源を切ろうとしたものの異常な速度で発熱してしまい、私は第一対応を大きく間違えたと悟った。

 万策尽きたかと思われたが、ネット(使える端末がないのでWiiUのブラウザを使った)で調べると「乾燥剤と共に袋に入れて密封して待つ」といういかにも怪しげな療法を見つけた。こういう焦った状態で見つけたものに飛びつくのは、つくづく悪い癖だと思う。しかし、この時は本当に頼れるものがなかったのだ。

 密封できるような袋がないのでクリーニングの袋をガムテープで目張りして代用し、台所にあったバナナチップスから取り出した乾燥剤を放り込んだ。机の端でキーボードが天板に接するような形で広げておいた死体を袋で包み、数日間待った。そして再起動すると⋯⋯なぜか点いたのである。どうしてこれで直ったのか、今でもわからない。

 その10年来の愛機だが、いよいよ限界が近い。スペックは何をするにもつらいし、容量は外付けHDDを常時接続して誤魔化している状況で、何よりバッテリーが1コマ保たない。そろそろ買い替え時なのだろうが、検討が面倒ですぐやめるから次が決まらない。部屋を見渡せばそんなものばかりだ。物に愛着を抱きがちだから、尚更買い替えられない。物持ちが良すぎるのも考えものかもしれない。