ウルリヒトゥレタス

だいたい生存報告

成人の日、その終わりに

まずは今年成人だよという方、おめでとうございます。私もですけど。

さて、本日2021年1月11日月曜日は我々の成人式だった訳ですが、いかがお過ごしでしょうか。このご時勢(腐る程聞きましたね、この言葉)ですから、ほとんどの地区では従来とは違う形の成人式が執り行われる(または執り行われない)ことでしょう。

で、初っ端から自分語りなんかしてほんと恐縮なんですが、まずは成人式が正規の形式ではない開催になって嫌だなと私が思う理由、というのを書いておきたいと思います。

 

 

今日日、おえらいさんの話に興味を持つ者は決して多数派とは言えないでしょう。振袖を着る女性にとっては大事な晴れ舞台だということはわかりますが、スーツを着たところで特に特別感はありませんし、そもそも私は陰キャゆえ自分が写った写真というのが好きではありません。

記念品だって半分くらいガチャなのではないですか?『GO!GO!選挙』のディスクならまだしも(これだって外野だからそう面白がれるのでしょうけど)、酒やSNSとの付き合い方に関するパンフなんて貰ったところでどうしようもありません。それでなくとも、どうしたって他の地区や過去の例と比べてしまうというもの。伝統工芸品とかならまだしも、うちの地区ではフェミっぽい団体によってコンドームが配られる予定だったとか。まっこと不愉快極まりない。嫌がらせですか?

それでも成人式に行こうかなと思っていたのは、まず昔の知り合いがいるであろうからです。小学校の頃の友人とは何年も会っていませんし、いくらかはSNSを介して連絡が取れますが追跡が不可能な者も数多く、消息も不明な彼らと会う最大にして唯一の機会が成人式だったのです。

昔の小学校の同期が集まったグループへの潜入にも成功したものの、私がやってくるまでほぼ会話は無かったとのこと。そんなものなのかもしれませんが、それでも6年くらい一緒にいた者たちですから、連絡がとれたり会えるならその機会は逃したくないと思います。成人式を逃せば、次に接触するのはいつかもわからない同窓会。それもうまくいけばの話で、出席しない奴とは未来永劫会えないままに終わるかもしれません。ひょっとしたら、幹事が私を見つけられず同窓会開催の連絡がこちらに届かないことだってあり得ます。

そしてもうひとつ。これはあくまで私の性格、それも被るのは不利益が多めという厄介な性質(BF1のアフリクションみたいなものです)が理由です。ただ「限定に弱い」というそれだけの話ですが、成人式だって言ってみれば「限定」です。

旧友と久しぶりに会って、おえらいさんの話を聞いて、写真を撮ったり食事に行って近況を語り合ったり、もしくはスーツや袴、振袖姿の同い年たちが溢れる街をただ歩いたり。これができるのは、当事者としてこの体験ができるのは1度だけなのです。「限定」を逃した痛み、手に入れられなかった痛みはいつまでも消えません。それが次回復刻まで12年かかるソシャゲのキャラでも、好きな映画の初回上映でも、はたまた成人式でも同じことです。そして今回の場合、復刻は決して無いのです。

 

 

さて、弊地区では、現地で普通にやるよ→他の地区はほとんどがもう決めたけどうちはまだ迷ってるよ→短くして決行するよ→都から要請が来たからオンラインにするよという感じで今日に至っています。ゆるさねえッ! あんたは今 再び オレの心を『裏切った』ッ!って感じです。「短くして現地で決行」というのは、最善ではありませんが最悪でもない、そんなパターンです。どうせならフルで参加したいという気持ちは確かにありますからね。しかし、前述の目的ふたつは一応達成できるでしょう。

ところが、「オンラインで決行」というのは最悪に近い。中止と同じようなものです。目的のふたつともが果たせないだけでなく、「延期」という可能性がこっぱみじんこに打ち砕かれているからです。旧友もいない、画面の中で展開されるただの動画というだけではコンビニの蕎麦についてくる水みたいに味の無いものとなってしまいます。参加したんだかしてないんだかわからない、手元のチンケな記念品だけがその存在の証明となる式です。

しかし、それはあくまで我々(少なくとも私)にとってのこと。もし役所というものがタスクリストを作っているとしたら、「タスク: 成人式(2021)を開催する」は完了済みとしてチェックをつけられていることでしょう。彼らにとって成人式は「もう終わったもの」になり、もはや「もう終わったもの」である成人式が再び開催されることはありません。仮に、突然全人類がコロナに対する完全な免疫、進化型ウィルスにすら圧倒的優位性を誇る免疫を獲得して、そのことをあらゆる政府と研究機関が公式に認めるということがこれから1週間の間に起こったとしても、2月や3月に成人式を再度執り行うということはありえないのです。

都からの要請は「延期するかオンラインにしろ」というものだったそうです。いくつかの地区では延期が選択されています。それでも弊地区ではオンラインを選択しました。オンラインに変更したと発表するページでは、よほどお問い合わせがあったのか、「会場開催の延期は考えないのか」という質問と「収束の見通しが立たないから」という答えが載っていました。私は1月11日でなくても構いません。12月や来年になったっていいのです。現地で開催してさえくれれば。どこかの教授が「成人式には行くな」みたいなことを書いていましたが、行く選択肢が全く無いのがオンラインなのです。

あちらにとってはさぞ楽でしょう。来るのはいくらかの来賓、劇団、司会とせいぜいが新成人代表程度ですから。それでやったことにできるのは彼らにとって楽な選択肢なはずです。一方で我々(主語が大きいのはよくないですね)にとってはあらゆるメリットが潰され、残ったのは絞りカスみたいなおえらいさんの演説くらい。なんなら誰でも観られるようなYoutubeの配信をされたところでなんの特別感もありません。

 

 

で、そのオンライン成人式を観てきました。散々貶しはしましたが、それでも限定を逃せないのが私。持って生まれた「性」です。

司会が挨拶とオンライン開催になった弁明を語り、手話役(あの透明な板を顔の下部につけてるだけの奴を装備してました。機動隊がつけてるようなのではないほうです。あれって効果無いとか言われてませんでしたっけ)や来賓が紹介され、この時点で壇上にいるのは司会のアナウンサーと手話役を除けば老人ばかり。ほんとに成人式ですか?続いて楽団が入場し国歌斉唱が行われますが、斉唱は「心の中で」。傍から見れば突然老人たちが起立して1分くらい立ったままになり、その後おもむろに座る、という光景です。もういっそやらない方がいいんじゃないですか?

長から社会の一員がどうとか責任がどうとかが語られ、選挙だったか議会に関する人から「選挙に行こう」みたいなことが語られます。オンライン化の恨みが消えない私は「クソ無能区長がよ」みたいなことを思いながら流しで聞いています。

話が終わると、スーツ姿の男と振袖姿の女が登場しました。初めて見る若者です。が、知らない者です。名前を聞いてもわかりません。「新成人代表」と紹介され、スピーチがそれぞれ読み上げられました。誰とも知らない者にいつの間にか代表されてるのも癪ですが、それを抜きにしても女の方のスピーチはマジにつまらない内容でした。「私はずっとこの地区で幸せに育ちました。この地区が教育に力を入れてくれているおかげです。この地区に育ててもらったなぁと思います」みたいな感じです。おべっか言えるから採用されたんでしょうね。男の方は少しマシで社会人の責任みたいなことを語っていたような気はしますがよく覚えていません。

私が「こいつら後で飲んで帰るんだろうな」と思ってる間にスピーチは終わり、彼らが「オンラインで繋がっている仲間たちにひとこと」を言って退場していきます。この頃に視聴人数を見たらせいぜい数百人でした。繋がっていない人の方が圧倒的に多いことになります。男は「収束したら一緒にトレーニングしよう」、女は「今はなかなか会えないけどまた会いましょう」みたいな感じでした。

他人と一緒にトレーニングは願い下げですが(ひとりでも)、「また会いましょう」とはなんですか。水爆でも落ちたんですか?会える機会を、繋がりを再生する機会をなくしておいてよくもそんなことが言えますね。皆が皆ずっとこの地区で過ごして繋がりを保ってる訳じゃないんですよ。

これで第1部は終了。まもなく第2部が始まります。

第2部では「音楽のプレゼント」と題してドナウがどうとかいう題名の曲が演奏されました。私は音楽の良し悪しもわからないような音痴ですが、「本来は生で聴くはずだったんだなぁ」と思って聴くと特別なものを感じますね。

演奏が終わるともう式もおしまいです。指揮者の挨拶や司会の締めを残すのみ。指揮者は「このオンライン成人式がいつか笑い話になる時が来るといいですね」と話しました。次いで締めがあって、今度こそ式は終わり。後はソシャゲの生配信みたいに「この配信は終了しました」の画面が映し出されるだけです。さようなら。

 

 

「このオンライン成人式がいつか笑い話になる時が来るといいですね」って煽りなんですか?追い討ちなんですか?まさかとは思いますが慰めのつもりではないでしょうね。私が細かいことを引きずる性質だというのは否定しませんが、これが笑い話になるとしてもそれは自虐がほとんどでしょう。部外者の気楽な立場だからって簡単に言ってくれます。「正規の成人式を開催できなかった」という落ち度を批判されないために言ってるのではありませんか?「あの成人式は確かに特殊だったけどあれだっていい経験さ」と刷り込もうとしているのでは?

この「慰め」に憤る者が他にいやしないかとTwitterで「成人式 笑い話」と検索しましたが、驚いたことに少なくない人があの指揮者と同じことを言っています。中には公式バッヂを付けた者や新成人の親、そして新成人本人も混ざっているようです。どうやら、これにプッツンしたのは私だけのようです。

そうそう、Twitterといえば、少し前に新成人によって成人式が開催されない嘆きが投稿されていました。しかし、それにくっついていた上位のリプは「気持ちはわかるけど新しい価値観で生きましょうよ」とか「文句ばっかり言ってないで自分で行動したらどうですか」といった感じです。やっぱり部外者は気楽でいいですね。

新しい価値観で生きようにも、こちらがどんなに感染対策を整えたところで式自体が開催されなければどうしようもありません。新しい価値観というなら、「成人式は成人の日に開催されなければならない」を改めたらどうですか?自分で行動とはどういうことでしょうか。確かに、「『限定』としての成人式に参加する」ことはできなくても「昔の知り合いと会う」ことは不可能ではありません。あらゆる同年代に声を掛けてクソデカ同窓会でも開けばいいんですか?自分で行動して欲しいものを手に入れるってそういうことですよ。

これは冗談として、たぶんオンライン飲み会あたりが無難でしょう。しかし、そもそも連絡をとるべきアドレスやアカウントがわからないのですから手の打ちようがありません。それらが存在するかすら定かではないのです。それへの唯一にして最大の解決策こそが現地開催でした。

そして、私は成人式はお上がやるから意味のあることだと思っています。自分たちでやったところでそれはただの同窓会です。おえらいさんの話に興味はないというところは変わりませんが、公式に行われるからこそ「限定」となり、広く人が集まって私の求めていたものが手に入る(少なくともその機会を得る)ことができるのです。

 

 

来年、もし成人式が正規の形で執り行われるのなら、それはめでたいことです。新たな成人の門出であり、人類とウィルスとの闘いに終止符が(もしかしたら一応の)打たれたということでもあります。知り合いとか親族にその該当者がいれば、おめでとうくらいは言うでしょう。

しかし、ニュースでそれを見たりする時には、きっとどこかで憎しみとか妬みとかそんなものがあるとも思うのです。そしてそれは消えない。少なくとも何年かの間はそうでしょう。今でさえ、現地で決行したり延期した地区はいいなぁと思っています。

来年までいかずとも、様々な行事やイベントがあることと思います。中止されるものやオンライン開催に変更されるものもあるでしょうが、その内のいくつかは規模を縮小したとしても開催されるはずです。オリンピックだってそうなるかもしれません。それを見るたび、(あんなに「一生に一度」って言ってた成人式はやらないのにこれはやるんだ)と思うのでしょう。

 

 

 

『MOTHERのことばとおみせ。展』が最終日だったので行ってきました。これこそが私の成人の日の思い出です。コーヒーブレイクを成人の日に読むと倍くらい沁み入りました。「苦しいこともつらいことも、まだまだたくさんあるだろうがそんなことを楽しむくらいのユーモアももっているのがきみたちだ。」ってとこいいですね。

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